2022/03/23

真に人間にふさわしいもの・・・

昨夜読んだ、ヤスパース著『哲学』(全3巻)・・・。

今は、その第2巻の『実存開明(哲学Ⅱ)』の第11章を精読しています。その中で、<職業>に触れた部分があります。ヤスパースは、<職業>の中で<真に人間にふさわしいもの>として、<医師・教師・裁判官・行政官・牧師・企業家等>をあげています。理由は、<こうした職業だけが、全体的な人間に心をとめて>職務が遂行されているからです。彼らは、彼らのそれぞれの<職業理念>をもってその職務を遂行していて、その業績の評価は、<作業命令によって算定したり、強要したりできるものではなく>、その<職業理念>にいかに真実に向かい合って職務を遂行したかによってはかられます。

しかし、その<真に人間にふさわしいもの>と思われる<職業>も、その本来の<職業理念>を見失ったり、逸脱したりすると、たとえば、医者の場合、<社会における医者という職業>は<単なる技術>と化し、<医師の実体を完全に亡ぼしてしまう異質の利害関心によって、偶然に左右されるようになる>といいます。それは、医師に限らず、<教師・裁判官・行政官・牧師・企業家等>にもあてはまります。

ヤスパースはいいます。<要求というものの意味は、つぎの点にある。すなわち、現存在のための闘争において、人間が、あらゆる特殊な社会的可能性のなかで、人間の品位にもっともふさわしい現存在形態を獲得するために、為さねばならないことをば、世界のうちで言表する、という点にある。それというのも、そういう現存在においては、人間が、自己の固有の本質を、自らの超越者との関わりのうちに覚知することができるからである。最高の高貴さを実現する人間たちが生きるように、そしてすべての人間的な現存在状況に人間的高貴さの可能性を供与する一切のことが、なされるように要求されねばならない。こうした現実を意志することは、歴史的な状況のうちにあっては闘争を回避することがゆるされないということを、挫折をも敢えてしなければならないということを意味する。しかし、そのためにこそ、現実と挫折しないこととが求められなければならない>。

今日、ウクライナのゼレンスキー大統領による、日本の国会での演説が午後6時から行われる。マスコミは、<これまでの諸外国の演説から、日本に対しても具体的な要求が行われる見通しだ。>と報じていますが、ウクライナの大統領の世界に向けた<要求>は、哲学者ヤスパースのいう<要求>に関する哲学的考察が背後にあるのかもしれません。

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