妻の実家のおかあさんの遺品を整理していた妻が、<あなた、こんなものが出てきたの。おかあさんの農作業のメモ書き・・・。なにかの役に立つかしら・・・?>といいますので、その手帳サイズのノートを開いて見てみました。
最初に目に飛び込んできたのが、昭和51年、昭和52年、昭和53年の、妻の実家の棚田の、上段・中段・下段の3枚の田での収穫したコメ30kg入りの袋数が記されていました。3枚の田の中で、一番収穫量が多いのが中段の田・・・。ただ、不作になった場合、中段の田の収穫は半減してしまうようです。それに引き換え、下段の田は、作・不作にかかわらずコンスタントに収穫できるようです。
2014年に、妻の実家の棚田の田で、有機・無農薬でコシヒカリ・はえぬきの栽培をはじめたとき、一番収量が多くとれる中段の田をつぶして、3分の1ははえぬき、つぎの3分の1は温水田、残りの3分の1は田畑転換した畑にすることにしました。減反政策を反映させたためですが、そのとき、妻の実家と<ゆい>を結んでいた農家の方から、<なして、いい田をつぶしてんだ?>と問いかけられたことがありますが、福島県では、標高300m以上の山地ではコシヒカリは採れないといわれています。標高550mの湖南高原の棚田の田でコシヒカリを栽培するには、夏でも冷たい、会津布引山に源流のある常夏川の冷たい水で栽培していては青立ちして終わることになりかねませんので、その冷たい水を温める必要があります。それでつくった、瀬戸内の入浜式塩田における水の温め方を転用した温水田をつくりました。冷害被害が発生する可能性がある場合は、さらに装置を付加して冷害対策を取ることができるようにしていますが、これまで、一度もその対策をとったことはありません。この温水田は、中段の田にしか設置できませんので、一番収量が多くとれる中段の田を減反対策の対象にしました。
おかあさんの遺品となったコメと野菜の栽培手帳、これから精読・分析して、筆者と妻の有機・無農薬栽培と比較してみます。
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