2022/06/19

天分を具えてゐれば詰まらない百姓も・・・

今朝、いつもの健康管理と『英訳聖書』(NSRV)を通読したあと、『アミエルの日記』のページをめくっていましたら、こんな言葉が目に飛び込んできました。

<天分を具えてゐれば詰まらない百姓も・・・作ることができる。ところが我々都会の通人や文明人はそれをえらく億劫に考へてゐるものだから、さういふ仕事は専門家に委ねるのである>。

<詰まらない百姓>とは、誰の判断なのでしょう? スイスの哲学者・アミエルの判断・・・? それとも、学者・研究者の判断・・・? 世間一般の判断・・・?

電子辞書の<デジタル大辞泉>で<詰まらない>を検索しますと、1.おもしろくない/興味をひかない、2.とりあげる価値がない/大したものではない、3.意味がない/ばかげている、4.それだけのかいがない/ひきあわない・・・という意味があるようです。アミエルが、<百姓>(田舎者)と<都会人>を比較しているところからみて、<詰まらない>というのは、<取り上げる価値がない>という意味なのかもしれません。哲学者・アミエルは、アミエルが<天分を具えてゐれば詰まらない百姓も・・・作ることができる。>と主張するときの<作ることができる>ものとはいったい何だったのでしょう?

0 件のコメント:

コメントを投稿

島村亀鶴先生から教わった聖書の読み方・・・

    日本基督教団の牧師になるために, 鶴川学院農村伝道神学校の入学試験を受けに行ったとき,私のために推薦状を書いてくださったのは,日本基督教団富士見町教会の島村亀鶴先生・・・. その当時, 島村亀鶴先生は, 鶴川学院の理事長をされていました.     そのとき,  島村亀鶴先...