2023/02/02

昨夜、『観聖寺文書』を解析するための白紙年表を整備・・・

昨夜、『観聖寺文書』を解析するための白紙年表を整備していました。真言宗の観聖寺の開祖、舜良房周順の生まれた歳から平成までの西暦を1ページごとに割り振り、元号でも検索できるようにしたものです。各ページは、縦12行ですので、1〜12月に割り振ることができます。市販のノートを合本にしたのですが、ページの上半分は観聖寺関連の記事・・・、下半分はその当時の信州の幕府領と江戸の歴史に関する記事をメモすることにしています。

筆者のブログを、Gooblog から Blogger に移動する必要にせまられて、1年数ヶ月、その作業が遅延してしまいました。人生は短く、芸術は長し・・・。国木田独歩のいう、<忘れべからざるひと>、<忘れ得ぬひと>だけでなく、<忘れてしまうひと>、<忘れるべきひと>も存在します。

話は変わりますが、以前、近世幕藩体制下の司法・警察官であった<穢多>役、<非人>役の職務日記を読んだことがありますが、筆者の先祖、信州栗田村の真言宗観聖寺の住職・修験僧は、信州水内郡の当山派修験の触頭でしたが、その職務日記を読んでいますと、100%異なる身分であったことを確認することができます。人間としての誠実さは、その先祖がどのような先祖であれ、先祖の歴史をあるがままに受け入れるところからはじまります。先祖の歴史を否定することは、みずからの人生を根無し草、浮き草にしてしまうことになるだけで、何の解決にもなりません。筆者の先祖が、たとえ、信州の<長吏>であったとしても、筆者のいきかたを変えることはないでしょう。調べに調べて、先祖の歴史の真実にたどり着くことでしょう。

<被差別部落>の人々の先祖が<賤民>であったなどと主張する部落史の学者・研究者・教育者は、差別思想<賤民史観>の持ち主そのものであり、差別者そのものです。彼らは、先祖だけでなく、曽祖父も祖父も父の人生も否定し、自らのみを良しとするあわれむべき存在以外のなにものでもありません。

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