2022/04/28

新けがれ論と非常民論・・・

筆者のブログ『部落学序説』の基本的な視点・視角・視座は、<新けがれ論>と<非常民論>のふたつですが、それは、日本基督教団西中国教区の部落差別問題特別委員会の委員を押し付けられたとき、筆者の取り組みの過程で、筆者のなかに必然的に構築されていった理論です。

しかし、それは、『部落学序説』の世界に限定されたものではなく、そのほかのすべての分野においても通底する筆者の視点・視角・視座になりました。ヤスパースの『哲学』(全3巻)を精読するときにも、筆者の祖父・吉田永學の先祖、信州栗田村の真言宗観聖寺の住職・修験僧の歴史をひもとくときにも、今回のロシアによるウクライナ侵略戦争について批判・分析するときにも、<新けがれ論>と<非常民論>を前提にして考察するのが常・・・。

<日常>における平和と、<非日常>における平和ないし平和に対する見方は違ったものになりうるし、<常>における平和と<非常>における平和に対する見方も異なったものになります。<日常>と<非日常>、<常>と<非常>が混然と一体化している現在の状況のなかで日<常>と<非日常>、<常>と<非常>を区別して認識、現在の問題を考察することは、筆者固有の哲学なのかもしれません。

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