昨夜読んだ、ヤスパース著『哲学』(全3巻)を通読・精読していて、目に止まった言葉・・・。
<自己満足は・・・零落である>。
人間の<自己満足>は、人間に<平安>をもたらす。その<平安>の中で、人間は<自分の存在の統一性を獲得する>・・・。人間の<自己満足>は、その理想と現実の<二律背反の緊張>を喪失し、人生そのものが常に<難破>しかかっている現実を忘却するときに、<現存在>に対して<無頓着>になり、それを<平生のもの>としてそこに安住してしまう・・・。それがたとえ、人生をかけて人間がたどり着くことができた高み<昇騰>であったとしても<零落>以外のなにものでもない。人間の<自己満足>は、<恐らく老人には許された、完了しようとする人生の瞑想>でしかない・・・。
筆者、74歳・・・。前期高齢者、最後の年・・・。すでに<老人>になってひさしい・・・。筆者自身、<老人>であることを否定するつもりはありませんが、哲学者ヤスパースの<老人には許された人生の瞑想>と軽くいなされる存在にはなりたくないと思ってしまいます。
鴨長明の『方丈記』の最後の言葉、宗教家としてその生涯をかけて生きてきたにもかかわらず、<しかるを汝、姿は聖にして、心は濁りにしめり>という言葉は、鴨長明が人生の晩年においてなお<自己満足>的な生き方をしないで、自分の実存と最後まで向かい合っていたことを物語る言葉であると思っています。高校2年生のときに、鴨長明の『方丈記』(岩波文庫)を全文読んでつかんだ人生の真実・・・。
2022/04/19
老人の瞑想・・・
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