2023/01/02

教育のパラドックス・・・

今朝6:00に起床・・・。いつもの健康管理をしたあと、『英訳聖書』(NSRV)を通読・・・。

そのあと、田中智志・山名淳著『教育人間論のルーマン 人間は<教育>できるのか』の続きを精読していましたが、その中に、<身分>から<学歴>へ・・・という教育形態の移行が取り上げられていました。日本の近代学校教育によって、<身分>的要素が否定され、キャリアとしての<学歴>が、人間<選抜>の重要な要素になっていく・・・、つまり、人間の評価が<家柄・血統>ではなく、そのひとの<キャリア>によって決定づけられていく、どのような両親と家計のもとに生まれてきたのか、<愛される子どもになったり、愛されない子どもになったり>する<幼少期のキャリア>、学校においてどのような成績をとるかによる<学童期のキャリア>、<学校における成功・失敗は、後の人生のキャリア>が左右されることになり、<結婚・離婚・再婚>も成人後の<キャリア>である・・・。<病気・犯罪>も、そのひとの<キャリア>を構成する・・・。日本の教育システムが提供する<キャリア>の典型的なものが<学歴>であるといいます。つまり、そのひとの<キャリア>としての<学歴>は、<生まれ>によって最初から決定づけられているということ・・・、であるようです。現代の人間<選抜>は、<家柄・血筋>ではなく<生まれ・育ち>によって、決定づけられているようです。前近代・戦前は<家柄・血筋>によって人間が<選抜>されたけれども、近代・戦後においては<生まれ・育ち>によって人間が<選抜>される・・・。継承的的世代の<家柄・血筋>による<選抜>が否定され、<一世代>の<生まれ・育ち>による<選抜>が肯定されているのが、日本の現代社会・・・

そのような教育システムの中で<教育される側>が<教育する側>に抵抗・反論するような事態を招くことになります。
日本の教育システムは、当然の結果として、<教育のパラドックス>を抱えることになるようです。『教育人間論のルーマン 人間は<教育>できるのか』のなかで、<教育パラドックス>の例として、<人間味あふれる教師の配慮が子どもを世知辛い競争に駆り立てるという矛盾>がとりあげられていますが、たとえば、同和教育担当教師の同和教育が、その授業を受ける子どもたちにかえって、被差別部落に対する差別意識を涵養する可能性がある、当の教師は、<部落に対して差別意識をもっていない、人権感覚にとんだ人間味あふれる教師>であるという自負を持っていても、その授業の指導方法・内容によっては、被差別部落の子どもたちに被差別意識を植え付け、一般の子どもたちに差別意識を植えつけることになるという<矛盾>に陥っていく可能性を否定することはできない・・・。

<教育のパラドックス>・・・。そのパラドックスから抜け出ることの難しさ・・・。

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