昨日、郡山のBOOKOFFに立ち寄ったとき、『仏教からクリスチャンへ―新装改訂版―』という小冊子が目にとまりました。
その小冊子の目次と内容を拾い読みしながら、筆者の生き方とはかなり違うと思いました。筆者は、<仏教>から<キリスト教>へ転向・改宗したのではなく、日本的、宗教的精神風土のなかで、『聖書』に出会い、『聖書』の神を信じるようになり、Sweden Covenant Mission の宣教師から洗練を受け、日本基督教団の神学校で学び、日本基督教団の牧師になった、その最後で、筆者の祖父・吉田永学、曾祖父・吉田向学が、寛永14年(1637)に開山された、信州栗田村の真言宗観聖寺の修験僧の世襲の家系で、栗田村の太子堂として聖徳太子像を本尊としていたことを知りました。
先祖のルーツが分かったからといって、筆者が、再度、基督教を捨てて仏教徒に入ることはありません。<比較宗教学>の観点から、先祖たちが学んでいた<密教>の教理を理解し、修験僧として生きてきた先祖の生きざまを『観聖寺文書』や『近世栗田村古文書集成』、長野市公文書館、長野県立図書館の関連史資料を通して確認するのみ・・・。これまでの結果、日本基督教団の隠退牧師である筆者と、先祖の真言宗観聖寺の住職・修験僧たちとの共通点は、<民間宗教>であり、民衆救済のいとなみをしていたこと・・・、先祖たちは、キリシタン弾圧下にあって、民衆のための<教会>・<牧師>の役割をになっていたと推察するようになっています。筆者の先祖である、伊勢神宮の神宮寺であった伊勢の世義寺の信州における末寺の観聖寺の住職・修験僧の生きざまに敬意の念を抱いています。明治11年、明治政府の宗教政策によって廃寺に追い込まれるまで、ずっと、民間宗教者としての生をまっとうしたのですから・・・。
不連続の連続、連続の不連続・・・。
被差別部落の人々のルーツ探し、先祖を尋ねる旅も、この<不連続の連続、連続の不連続>の視点が必要ではないかと思います。不連続に偏って生きることも、連続を主張するだけにとどまることも、被差別部落の人々のアイデンティティの確立にはつながりません。<不連続の連続、連続の不連続>の視点が必要です。
2023/01/28
不連続の連続、連続の不連続・・・
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