筆者、ブログ『部落学序説』に、こんな文章を書いたことがあります。
<一時、インターネット上で、大阪市立大学においても「部落学」構築が試みられているとニュースがながされていたと記憶していますが、大阪市立大学の野口通彦は、「歴史学」・「社会学」の学歴・資格を背景に、新たな提案をしています。野口通彦の代表的な著作に、『部落問題のパラダイム転換』がありますが、その内容は、無学歴・無資格の「しろうと」目からみてもかなり荒っぽいもので、学者・研究者としては非常に粗雑な議論を展開しています。野口のいう部落問題のパラダイム《転換》は、決して《転換》ではなく、従来のパラダイムの本質をそのままに単に装いを替えただけに過ぎません。差別解消というより、部落差別の拡大再生産に直結するような論法を展開しています>。
無学歴・無資格(Academic Outsider)の筆者がはじめて<パラダイム転換>という言葉を目にしたのは、野口通彦著『部落問題のパラダイム転換』という本を読んだときですが、ルーマンの社会学を踏まえると、社会同和教育における<パラダイム転換>は、どのように把握することができるのでしょう?
筆者の手元にある社会学者・ルーマンの著作・・・、すべて精読することにしました。2022年、昨年は、ヤスパース、アーレント、ヴィトゲンシュタイン、野矢茂樹の著作を多数読みましたが、今年は、それに加えて、ルーマン、コセリウ、ガダマーの著作を精読することになりそうです。
無学歴・無資格(Academic Outsider)の筆者がはじめて<パラダイム転換>という言葉を目にしたのは、野口通彦著『部落問題のパラダイム転換』という本を読んだときですが、ルーマンの社会学を踏まえると、社会同和教育における<パラダイム転換>は、どのように把握することができるのでしょう?
筆者の手元にある社会学者・ルーマンの著作・・・、すべて精読することにしました。2022年、昨年は、ヤスパース、アーレント、ヴィトゲンシュタイン、野矢茂樹の著作を多数読みましたが、今年は、それに加えて、ルーマン、コセリウ、ガダマーの著作を精読することになりそうです。
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