昨夜、ヤスパース著『哲学』(全3巻)の通読・精読をしていました。昨夜読んだ箇所は、<死>について、愛する者の死と自分の死について・・・。
死によって失われるものは、<現象>に過ぎない。死によって、<存在>そのものは失われることはない・・・。<死>は、包括者の前における実存的飛躍の契機・・・。哲学をするものは、<死>に直面するとき、どのような姿勢で向き合うのか・・・。哲学者・ヤスパースは、哲学するものが自分の<死>に直面したときとり得る姿勢は、<勇気>であるといいます。絶望・失望・悲哀などではなく<勇気>をもって、自分の死をみつめることが、<死>から飛躍するときであると・・・。それができなければ、自分の<死>に直面して、包括者と向き合うことなく、<死>に飲み込まれてしまう・・・。
朝、妻にその話をしますと、妻は、<わたしは、ただ主イエスさまを見上げるのみ・・・>。
<千歳の岩よ、わが身を囲め、
裂かれし脇の 血しおと水に
罪もけがれも 洗いきよめよ。
世にある中も、世を去る時も、
知らぬ陰府にも 審きの日にも、
千歳の岩よ、わが身を囲め>。
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