2022/08/19

吉田向学は、ペンネーム・・・

2005年に、インターネットのブログ上で『部落学序説』をかきはじめたとき、筆者は、筆者の先祖のことについてあまりくわしくしりませんでした。というより、ほとんどなにもしりませんでした。

ただ、日本基督教団西中国教区の部落差別問題特別委員会の委員を教区総会で押し付けられ、その委員長から、<広島の社会館には関わらないように。山口の被差別部落の中に入って活動するように。>要請され、すこしく山口の被差別部落にかかわるようになったのですが、筆者が牧師をしていた教会の書記担当役員の方は、徳山市議会の事務局に勤務しておられた速記者の方で、徳山市議の方々の同和対策事業・同和教育事業の先進地視察の連絡や手配、同行、写真撮影などを担当されていた方で、山口の被差別部落の所在を知り尽くしていました。彼から<牧師さん、写真撮りにドライブに行きましょう。>と誘われたときは、かならずそのドライブのルートに被差別部落(同和地区)が入っていました。そのあと、筆者は、徳山市立図書館の郷土資料室で、その被差別部落の所在と歴史・文化を調べ、妻とふたりで尋ねて行って、被差別部落の古老からいろいろお話をお聞きすることができました。筆者の『部落学序説』執筆の背景には、<偶然>がかなり起因しています。部落解放同盟新南陽支部の学習会に参加するようになって、その被差別部落のおじさん、おばさんの、差別に屈しない、あかるく元気にふるまう姿を見て、筆者は、同和問題・同和教育で一般的に言われていることがらに疑問をかんじはじめました。あるとき、部落解放同盟新南陽支部の支部長さんから、<この部落の歴史を調べてほしい。これまでにも、学校の教師に調査を依頼したが、みんな、こころよく引き受けてくれるものの、誰ひとりとして、調べたことを教えてくれなかった。吉田さんは、牧師さんなのだから、調べたことは、つつみかくさず教えてほしい。差別される合理的な理由があるなら、それも知りたい・・・>と熱心に口説かれて、山口の被差別部落を尋ねたり、徳山市立中央図書館の郷土資料室で調べたり、山口県立図書館で調べたり・・・。あるとき、それをまとめることにして、『部落学序説』の執筆計画を立て、山口県立高校の同和教育担当教師や新聞記者の方々にその執筆計画書を見せてアドバイスを受けて、2005年に執筆を開始しました。

執筆をはじめてまもなく、読者の方から、<被差別部落の人々の歴史をさらすなら、自分の歴史もさらせ>と要望され、筆者は、長野県の出身で、祖父は吉田永学、曾祖父は吉田向学、吉田向学は幕末から明治にかけて生きた人なので、筆者のルーツを知るうえでかけがえのない存在、それで、筆者のペンネームを吉田向学にする、長野県の吉田向学について何らかの情報を持っている人は提供してほしいと、インターネットで極ありふれた名前で同姓同名の多い筆者の本名ではなく、筆者の祖父・吉田向学を『部落学序説』のペンネームにしました。

しかし、アクセス件数が何百万件に達しても、どこからも、祖父吉田永学、吉田向学に関する情報提供はありませんでした。日本基督教団西中国教区の牧師を辞し、隠退牧師となり、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農する直前、筆者の先祖は、近世幕藩体制下の幕藩領の、<当村には、穢多・番太の類はいない>と記された古文書が散見される『近世栗田村古文書集成』をインターネットの日本の古本屋経由で入手、そのなかに、筆者の先祖のひとりの名前をみつけ、それをてがかりに、筆者、筆者の先祖が真宗栗田村の真言宗・観聖寺、1637年(寛永14年)に舜良房周によって開山された、伊勢の神宮寺・世義寺の末寺、聖徳太子をまつる太子堂の、世襲の住職・修験僧の末裔であることがわかりました。

妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農してから、先祖の地を訪ねる機会が与えられ、観聖寺跡地にすみ、その宗教遺産を継承しておられる長野の吉田さんのご厚意で、『観聖寺文書』を読むことを許され、一挙に、先祖の歴史をたどる道が開かれました。真言宗・観聖寺は、明治政府の宗教政策によって明治11年廃寺に追い込まれます。筆者が、明治政府の政策によって切り捨てられた、近世幕藩体制下の司法・警察である穢多役・非人役の末裔の方々に何らかの共感・同情の思いを持つのは、筆者のなかに、筆者の先祖の歴史が受け継がれているからかもしれません。日本の戦後の民主主義教育は、家や家系を軽んじ、<今さえよけりゃ昔のことは関係ねえ!>と割り切る人々を涵養してきたところがありますが、<昔はどうでも、今さへよけりゃ!>という個人主義的・利己的生き方には、どことなく、人間としてさびしいところがあります。人間は、歴史から超越した存在ではなく歴史内存在です。左翼の思想家・歴史家・学者がそのイデオロギー的史観で構築して、<被差別部落>の人々を<賤民史観>という差別の鉄鎖につなぎとめてきたことの罪悪性は、被差別部落の人々からほんとうの歴史を奪い、偽りの歴史を押し付けてきたことにあります。

つぎに、ほんとうの歴史を語るのは、あなたの番です!

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