今日の午後、部落史関連の書籍の整理をしました。関係のない分野の本を抜き出し、部落史研究・部落差別問題の論文・史資料のみの書棚にしました。その冊数は、約550冊・・・。そのうち400冊は、2005年に、インターネットのブログ上で『部落学序説』を公開執筆したあとに入手したものです。
京都大学大学院を出られた日本文化史研究者の方のすすめで、<同和対策事業が終了したということで、部落史研究者がその蔵書を古書店に売却しはじめたので、史資料を入手するのは、今がチャンス・・・>とアドバイスをしてくださったので、そのアドバイスにしたがって、『部落学序説』の執筆継続、『部落学』をあらたに執筆するときの史資料として入手しました。そのあと、2011年の東日本大震災時の、妻の実家のある福島県郡山市湖南町赤津村の放射能汚染、2012年1月1日、東海村原子力発電所に季節労働者として勤めていた、妻の実家のおとうさんが心臓発作で急逝、認知症と診断されていた、妻の実家の母の介護のため、2013年4月1日に、帰郷・帰農・・・。4.6反の田畑で、有機・無農薬でコメと野菜の栽培をはじめました。今年で10年目・・・。やっと、年金暮らし&百姓暮らしになれて、少しく精神的にゆとりが出てきましたので、クライアントサーバーシステムを整備、Windows Server 2012R2、Windows8.1Pro×2台、Windows11Proに再構成して、筆者の書斎と寝室で執筆活動をするための環境づくりをすることができるようになりました。それで、部落史関連史資料の書籍の整理をはじめたのですが、段ボール2箱に入った、『部落学序説』を執筆するときの根拠となった史資料のコピーと、山口の被差別部落や浄土真宗の寺院、徳山市立中央図書館の郷土資料室での取材ノート3冊も出てきました。山口の被差別部落を尋ねたときの地図も・・・。
今日目にした文献の中に、明治7年の文献がありました。その中に<部落>という用語が使われていました。長野県出身の井上操という法学者の文章の中に、<数親族相会シテ部落ヲ為シ部落相集リテ一国ヲ為セリ。>とありました。井上操は、司法省に勤めていたので、大日本帝国憲法発布前の各種法を整備するとき、地方自治法を担当した法学者モッセの基本的な概念 Geminde の訳として、<部落>という漢語を訳語にすることを提案した日本人学者というのは、もしかしら、この井上操・・・? 井上操訳『性法講義』は、デジタル国立国会図書館で、誰でも閲覧可能です。
2022/08/17
午後、部落史関連の書籍を整理・・・
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1948年生まれ。出身地は、岡山県児島郡琴浦町、当時は、塩田と学生服の町でした。琴浦西小学校・琴浦中学校・岡山県立児島高校普通科出身。神学校は、鶴川学院農村伝道神学校。高校を卒業した後の職業は、大阪府職員、岡山県倉敷式の某医学研究所付属病院で臨床病理検査、さらにその後、専門商社に...
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