私は、 無学・無資格の日本基督教団の隠退牧師です。私の人生の晩年における自由について考えてみました。
1.私は、隠退牧師になったことで、様々な人間関係に牧師としてかかわる職務から解放されて自由になりました。
2.私は、聖書を一信仰者として読む自由を取り戻しました。
3.私の先祖は、信州の栗田村の太子堂である、1637年に創設され、明治政府の宗教政策で1878年に廃寺にされた真言宗観聖寺の住職・修験僧です。私は、長男系列の末裔です。真言宗観聖寺の跡地に住み、その宗教遺産を継承している長野市在住の吉田さんのご厚意で、観聖寺文書を読むことが許され、先祖の歴史を自由に調べることができるようになりました。
4.私は右手関節炎を患い手術を受けました。鉛筆で字を書いても右手に痛みがきます。隠退牧師になり、妻のふるさと湖南に帰郷・帰農してから、主イエスさまのことばに従って、OutStretchの方法を身につけ、右手の痛みと農作業の痛みをいつでも取り除くことができるようになり、その痛みから自由になりました。
5.私は、無学歴・無資格です。私は、大学・大学院で勉学したことはありません。日本基督教団の隠退牧師になってからは、インターネットの日本の古本屋経由で、哲学・神学・医学・法学の専門書を集め、中世の4教科を独学する自由を得ました。私の蔵書は、3000冊に上ります。
6.今回、いろいろな分野について、英文で文章を書く自由を手にすることができました。
7.妻のふるさと・湖南の人々は、よそ者である私に対して排除・疎外するのが常ですが、それを受容したとき、私は、湖南の赤津村の習俗、しきたり&ならわしから自由に生きることができるようになりました。
私と妻は、日本基督教団の牧師をしている間、清貧生活を余儀なくされました。日本基督教団西中国教区の中で一番謝儀の少ない牧師でした。在職30年間、私の謝儀は初任給以下でした。隠退牧師になってからもその清貧生活を続けることになりました。ただ、私と妻は、標高550mの湖南高原の棚田の田や段々畑の畑で、自給用に有機・無農薬でコメと野菜を栽培するようになって、暮らしそのものは安定しています。
*blogger の Translate Powered by Google 翻訳で、誤訳を避けるための表現をこころがけるようにしました。<私>という主語をすべてに付ける必要があります。一つの文章に一つの主語に限定することは、誤訳を防ぐことに効果的です。2つの主語を持つ複文はできる限り使わないようにする必要があります。それらを意識して書いたのが上の文章です。
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