2021/11/21

脱穀したあとの稲わらでわら塚つくり・・・

 今日、午前10:00~12:00まで、妻の実家の田の、脱穀したあとの稲わらを積み上げて円筒状のわら塚つくりをしました。

日本の田舎の原風景のひとつともなっているわら塚は、妻のふるさと・湖南の赤津村では、妻の実家の田だけで見ることができます。妻の実家は、湖南の赤津村のプロの農家にいわせれば、赤津村で一番ちいさな農家なのだとか・・・、湖南農協の正組合員にも準組合員になれない<極貧農家>・・・。赤津村のプロの農家は、<おめえら、ここらのもんでねえから、働かせてくるところはねえべえ? 何して食ってんだ? まさか、これ(泥棒)してるんではねえべえなあ?>と言われる方が多いのですが、筆者と妻が、いくら、年金暮らし&百姓暮らしをしているといっても、誰も信用してくれません。<ここらのもんの年金は、月3万円程度だ。そんなんでは、ここらで生活していけるわけねえべえ?>と、疑心暗鬼の妄想の世界・・・。<2~3年経ったら、貯金使い果たして、ここから出ていくべえ! あいつらと付き合ったら損するぞ!>とのうわさが流され、湖南の赤津村のプロの農家とは、最初から疎遠な関係がはじまりました。今もその延長線上にあります。

でも、脱穀を終えたあとの稲わらを片づけ、牧場のサイロのような円筒形のわら塚をつくっていますと、わらの温かさを通じて、湖南の自然の、素人百姓で、有機・無農薬でコメと野菜を栽培する筆者と妻に対するあたたかさが伝わってきます。晩秋になっても、赤とんぼがやってきて、筆者の肩や胸、腕にとまります。妻は、<あなたは、こころもからだもあたたかいひとだから、赤とんぼもそのあたたかさにひかれて遊びにくるのよ、きっと・・・>と話していました。


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