2021/11/29

学者・研究者・教育者・政治家の差別問題との関わり方についての哲学的考察・・・

今朝5:30に起床。いつもの健康管理をしたあと、『英訳聖書』(NSRV)を通読しました。その後、ヤスパースの『哲学』(全3巻)の通読をしていたのですが、今日の箇所も、アスペクト的文章・・・。

今日の箇所は、ヤスパースが、学者・研究者・教育者・政治家の差別問題との関わり方についての哲学的考察をしている箇所でした。彼らは、差別された人々について、語るにしても沈黙するにしても責任があるといいます。現政権下において政治的に差別されている人々の苦しみを前に、彼らは、語ることもできるし、沈黙することもできる・・・。語ることによって、悪しき学者・研究者・教育者・政治家から抑圧と言論の自由を疎外されることもある・・・。そのような状況の中で、沈黙すれば、すべてのわざわいから自分の身を守ることができるのか、哲学者・ヤスパースは、沈黙することにも責任がともなうと明言します。差別者は、語ることによっても、沈黙することによっても差別を助長し、差別に反対するものは、語ることによっても沈黙することによっても、差別がなんであるのかを明らかにし、その差別の障壁を取り除こうとする・・・。被差別という現実を前に、そのひとの全人格がなんであるのかが問われるというのです。哲学者・ヤスパースの念頭にある差別は、ドイツのナチスによるユダヤ人差別のことでしょう。しかし、このヤスパースの言葉、日本の部落差別にもあてはまる言葉です。

gooblog から、筆者の『部落学序説』と『隠退牧師の晴耕雨読日記』が、法務省権調第123号」を根拠に、部落差別事件として訴えられたとしても、筆者、その裁判の被告席で、部落差別解消のためになさなければならないことがなんであるのか、gooblog の対応がいかに差別的で非人権的処置であるのか、弁明することができるようになります。日本の知識人は、<日本の部落差別問題は、日本に固有の問題であって、ユダヤ人差別とは何のかかわりもない>と主張するかもしれませんが、筆者は、部落差別もユダヤ人差別も同じ差別として通底していると思います。それに、筆者のブログは、日本の被差別部落の成立は、諸外国(特に欧米)も深く関与しているとの主張を含んでいますから。

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