『アーレント=ヤスパース往復書簡』・・・
ヤスパースの『哲学』(全3巻)の精読を終えたあと、この『アーレント=ヤスパース往復書簡』を通読していますが、ドイツ人の哲学者ヤスパースと、ユダヤ人であるドイツ人哲学者アーレントとの文通・・・。ふたりの大学の哲学教授の間で交わされる対話・・・、無学歴・無資格、学問とは無縁、大学で学ぶ機会のなかった筆者にとっては、まったく未知の世界での対話です。かって、大学における教授と学生の関係であったヤスパースとアーレントは、やがて<同業>の<哲学者>として、手紙と交流によってその哲学的対話を展開していくことになりますが、どの手紙も、無学歴・無資格の筆者にとっては、知的刺激に富んでいます。
ヤスパースの手紙の中の言葉・・・。<われわれは生きているかぎり・・・自分のなすべきことをする・・・語れるときは語る>。<歳をとっても時間はまだまだたくさんあるような気持ちで生きるほうがいい。それに本を書くというのは、なかなか楽しいことですからね>。
アーレントの手紙の中の言葉・・・。<人間性を可能にしているのは、「議論」することのできないような事柄についてもなお「論争する」ことができる能力である、なぜなら、相手を議論で説得できない場合ですら「たがいに一致する」という希望があるから・・・>。
無学歴・無資格の筆者、その事実に立脚することで、高学歴・有資格のヤスパースとアーレントの対話、議論、論争に、敬意をもって耳を傾けることができます。
ヴィトゲンシュタイン著『哲学探究』・・・
<ものごとのもっとも重要なアスペクトは、単純で日常的なので、私たちには隠されたままだ。このことに気が付かないのは、——それがいつも目に前にあるからだ。人間は自分の研究の本当の基盤にはまたく気がつかない・・・>。
<ある概念の意味、つまり重要性を説明するために私たちが言わなければならないことは、しばしば、きわめてありふれた自然の事実なのだ。あまりにもありふれているために、ほとんど言及されることのない事実なのだ>。
無学歴・無資格の視点・視角・視座からは、かえって、高学歴・有資格の学者・研究者・教育者の<研究の本当の基盤>を明らかにすることが可能な場合も少なくありません。まかり間違って、高学歴・有資格の立場をとったがゆえに、<ほとんど言及されることのない事実>、<きわめてありふれた自然の事実>を見失うだけでなく、それを無視したり、なんら検証、考察することなく切ってすてたりする場合も少なくありません。
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