数日前に読んだ、『カーレント=ヤスパース往復書簡』の、ヤスパースの手紙の中に、こんな一節がありました。
<・・・いまなお模索中で、言いたいことがいまようやく表現できるようになりかけたかなと思っているところです。ばかな話しですね。しかしおそらくカントの言うとおりでしょう。これでいよいよほんとうに始められるというところまで来たときには、死がすぐそこまで近づいている。・・・>
牧師の中には、死ぬときは説教壇の上で死にたいという人が少なくありません。説教中に死ねたら、牧師として本懐をとげたことになるのでしょう。そういう意味では、農家が、農薬散布の薬害で死ぬことは、農家にとっては本望になるのかもしれません。しかし、不信仰な牧師とラベリングされ、薬品アレルギーのある筆者は、どちらの死に方もすることはできません。
8月6日付のヤスパースの手紙に、アーレントは、9月28に返事を出し、その死の背後にある神のみむねがなんであるのかを書き記しています。アーレントの手紙を読んで、筆者も励まされました。
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