2022/09/10

今朝、朝食後、お茶を飲みながら、『アーレント=ヤスパース往復書簡』の話し・・・

今朝、朝食後、お茶をのみながら、筆者が昨夜読んだ『アーレント=ヤスパース往復書簡』について話しをしました。ハンナ・アーレントとカール・ヤスパースのふたりの哲学者の手紙による対談・・・、1950年における対談なのに、2022年の、ロシアのプーチンによるウクライナ侵略戦争、ウクライナ解体・絶滅戦争の今日的状況に通じるものが多々あります。アーレントとヤスパースは、やがて来るべき時代を見通していたのでしょうか・・・?

アーレントは、神学者バルトに対して批判をしていました。批判の対象になったのは、バルト著<東の西の間にある教会>・・・。ロシアの東側陣営とアメリカの西側陣営の間にある<キリスト教会>の在り方に関する論文です。アーレントは、バルトの主張は、典型的な西欧の知識人のそれなのか、<やくざ>(暴力団?)のそれなのか、区別することができないといいます。バルトは、ナチス・ヒトラーとロシア・スターリンは別物であるといいますが、アーレントは、同種の存在であるといいます。アーレントは、バルトが<左翼>思想に理解を示し、それを容認しようとしている側面があるといいます。キリスト教の異端について厳しく批判するバルトですが、キリスト教を完全否定する共産主義については寛容・・・。不思議な論調に貫かれているバルトの論文ですが、妻は、<あなたはよく、バルトについて話しをするけれど、バルトにもそんな側面があるの?>と問いかけてきますが、筆者、<バルトの教義学についてはよく話をするけれど、そのバルトのひととなり、彼がどのような人で、どのような生き方をしたのかについては何も知らない・・・。カール・ヤスパースの場合は、彼が書いた自伝と、彼の学生であったハンナ・アーレントが、ヤスパースがどういうひとで、どういう生き方をしたのか、その往復書簡に書いているから、スパースの哲学とヤスパースの生き方の両方を知ることができる・・・。しかし、バルトは、『Chuch Dogmatics』を読んで教義学的聖書解釈の方法を学んでいるだけで、バルトの生き方からなにかを学ぼうとしてことはない・・・。たぶん、これからも・・・。>と答えざるをえませんでした。

<東の西の間にある教会>をあらためて読みながら、筆者、愕然とさせられました。日本基督教団の牧師になるために農村伝道神学校で学んでいたとき、また神奈川教区・西中国教区の教会で牧師をしていたとき、先輩牧師たちからよく投げかけられた言葉と同じ言葉が書かれていましたから・・・。

<東ー西の問題には甚だ情熱的な関心をいだいているけれども、教会に対しては・・・全然 関心をよせていないというような人々・・・私はこう呼びかけたい。・・・聴衆としてここに席を同じうする権利は全然ない・・・。それゆえ、未だ足もとの明るいうちに、お帰りになる方がおそらくよろしいかと思う次第である・・・>。

神学者バルトのこの排他的ないいまわしは、何なのでしょうか? 日本の神学者や牧師は、バルトの『Church Dogmatics 』の内容を学ばないで、神学者バルトの高圧的な言動・指導法のみを継承したのでしょうか・・・? <学歴をもっていないものには、ヘブル語は教えない!>、<佐藤通次の『独和言林』で独文を訳すものには旧約学は指導しない>、<無学歴なものは、Die Kirchliche Dogmatik の研究会に参加する資格はない>・・・。そのような指導法は、ある意味、バルト的であったのかもしれません。

筆者、『Die Kirchliche Dogmatik 』は、Ⅳ/3 2.Hälfte と Ⅳ,4 Fragment を入手、読んだだけ・・・。原文ではなく、英訳の『 Church Dogmatics 』のみを読むことになりました。筆者ばにとってバルトは、無学歴・無資格の筆者が理解しうる限りのバルトでしかない・・・。これからも・・・。


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