2022/09/15

島村亀鶴先生のことを思い出す・・・

午後、なにとなく、島村亀鶴先生のことが思い出されて、その<召天記念論文集>『イエス・キリストの後を行く』のページをめくっていました。そのとき、目に飛び込んできた一つの俳句・・・。

<おんぼうとわが顔なじみ冬の雲>

島村亀鶴先生は、筆者が日本基督教団の牧師になるために農村伝道神学校に入るとき、推薦状を書いてくださった牧師・・・。島村亀鶴先生は、筆者に、<君はいい牧師になる・・・>と語り掛けてくださいましたが、島村亀鶴先生は、筆者にその弟子と名乗ることを許してくださったたったひとりの牧師です。筆者、島村亀鶴先生から、牧師としての生き方、説教のつくりかた、牧会のしかたを教えてくださいましたが、筆者、神学校を卒業すると、<ギリシャ正教の伝道師のように、自分の棺桶を背負って野垂れ死に覚悟で、遣わされた地で課題をになう>と手紙をさしあげたところ、島村亀鶴先生、<心配するな、私も野垂れ死にする>と返事をくださいました。島村亀鶴先生の句にこうのような句があるそうです。

<濃りんどうわが葬式をわがしたし>

その島村亀鶴先生がよんだ、<おんぼうとわが顔なじみ冬の雲>、島村亀鶴先生のあたまとこころのなかに去来していたものは何だったのか・・・、思いめぐらしていました。<おんぼう>は、島村亀鶴先生の故郷・土佐でも、<隠亡>のこと・・・。近世幕藩体制下の<私服刑事>のことで、殺人事件を探偵し、犯人を捕まえて奉行所に引き渡す役・・・。被害者は、野焼きに付すのがならい・・・。その隠亡と、島村亀鶴先生ご自身の顔、鏡で見た顔は冬の黒雲に覆われた空の下ではまったくそっくり・・・、重荷を背負わされて、しかも、真実を生き抜こうとする<隠亡>も<牧師>である島村亀鶴先生もなにも変わりがない・・・、という意味なのかもしれないと思いながら、その説教をひもといていますと、ルター訳旧約聖書詩篇68篇20節の言葉についての説教がありました。

<Gott legt uns eine Last auf, aber er hilft uns auch.>

<Google翻訳>にかけてみますと、

<神は私たちに重荷を負わせますが、同時に私たちを助けてくださいます。>

日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていた歳月、筆者は、部落差別問題との取り組みを押し付けられていましたが、主イエスさまが私に与えられた課題であると、真剣に取り組んできました。日々、主イエスさまの助けを受けながら・・・。<おんぼう>が<隠亡>として、近世幕藩体制下の司法・警察に従事していた<公務員>であって、決して、左翼の思想家が断定するような<被差別民>・<賤民>ではなかったと、史資料を分析しながら確信を抱くようになったのは、主イエスさまと筆者のいのりのなかでのやり取りが大きく影響しています。

師にめぐまれることすくなき筆者ですが、ひとりでも師弟関係を持つことが許されたことは、主なる神さまの大いなる恵み・祝福であると思わされています。



0 件のコメント:

コメントを投稿

KUBOTAのバインダーでイネを刈る準備・・・

    今日は, 午前9:00‐12:00, 農機具の小屋からKUBOTAのバインダーRJN25を取り出して整備点検・・・, 軽トラに乗せて, 棚田の田の農業用ビニールハウスの中に格納しました.     そのあと, はえぬきの田の4角を, 稲刈り鎌で手刈り・・・.  バインダーR...