2022/05/23

石垣りんは<プロレタリア詩人>ではなく<生活詩人>・・・

詩人の石垣りん・・・

岩波書店の広報誌『図書』の最初のページによく、石垣りんの詩が掲載されていました。筆者が定期購入した最初の雑誌『図書』は、高校生の小遣いでも購入できるほどとても安価でしたから・・・。

石垣りんは、自分のことを、<プロレタリア詩人>ではなく<生活詩人>と表現していますが、石垣りんが<プロレタリア詩人>であったとしたら、高校生の筆者、それほど多く影響を受けることはなかったと思われます。<生活詩人>であったからこそ、その<生活詩>に、多くの類似性を持っている筆者は、共感をおぼ終えることができたのです。

石垣りんは、<現象面>の背後にある<本質面>を詩人固有の感性でその詩を紡ぎ出しました。筆者にとっては、<実存的詩人>であるように思われました。筆者、ひとのこころを学んだのは、『万葉集』と通してでした。『万葉集』の歌のなかにも、<生活詩>、<実存的詩>が数多く含まれています。人生の試練に直面したとき、ひとはどういきなければならないのか、そのあしあとが克明に刻み込まれています。スイスの哲学者アミエル『アミエルの日記』、ドイツの文豪ゲーテ『ファウスト』、カロッサ『美しき惑いの年』、フランスの哲学者パスカル『パンセ』、ドイツの哲学者ヤスパース『哲学入門』、鴨長明『方丈記』、新井白石『折り焚く柴の記』・『西洋紀聞』・・・、年をとればとるほど、高校生のときに出会ったそれらのほんのことばが、筆者のこころのなかに深くきざみこまれているのを自覚させられます。もちろん、筆者にいちばん大きな影響をあたえ、それらの本をよりよく理解させたのは『聖書』です。

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