人生の晩年において、古文書が自由に読め、英語論文が自由に書けるようになる・・・、そんな高齢期を過ごすことができるようになるなんて、夢にも思っていませんでした。
2013年日本基督教団の隠退牧師になり、妻の故郷・湖南に帰郷・帰農して、有機・無農薬栽培でコメと野菜を栽培するようになりましたが、東日本大震災による福島の大地の放射能汚染と、妻の実家のおとうさんの急逝・・・<帰りなんいざ 田園まさに荒れんとす>の思いをもって、妻の故郷に帰り、妻の実家のおとうさんが残してくれた棚田の田と段々畑の畑で、自力で田畑の除染作業をして有機・無農薬栽培をはじめました。 それから、10年の歳月が通り過ぎて行きました。
こころとからだとたましいの健康を与えられ、そのことを許して下さった主なる神さまに感謝しながら、 晴耕雨読の日々を過ごしています。 よそものに排他的な、妻の故郷では、ひととの接触はほとんどなくなりました。 妻と私は、夫婦間での会話が唯一の会話・・・。 その分、反動で3000冊の蔵書をひもとくことが多くなりました。
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