人生の晩年は、非生産的な人間関係から解放されて生産的な行き方をまっとうすることができるようです。
日本基督教団の牧師をしていたときは、本業の牧師としての伝道と牧会においても、副業の情報処理関連の仕事で、山口県立東部高等産業技術学校や山口県東部女性就業センターで、パソコンの資格取得講座の講師をしたり、小規模会社のシステム開発などの従事して、ひとと接触することが多かったのですが、2013年、日本基督教団の隠退牧師になり、妻の故郷・湖南に帰郷・帰農してからは、牧師の職務から解放され、非生産的な人間関係から後退し、妻とふたりで生産的な生き方を指向するようになりました。
妻のふるさと・湖南の現実世界においてだけでなく、インターネットの世界においても、非生産的な生き方との接触を避けるようになりました。 日本基督教団西中国教区の教会・牧師・信徒からのコンタクトは一切なし。 私が牧師をしていた教会の信徒と求道者の方々と少しくやりとりがあるだけ・・・。
中学校・高校のときの先輩のひとりは、<自己宣伝主義>と<他人利用主義>をモットーにして生きると宣言していましたが、後輩の私は、彼の<自己宣伝主義>と<他人利用主義>の対象にされていました。 岡山は、そういう人間関係を構築する人が多い・・・。 でも、それはいつか破綻の時を迎えます。 3次元的なすれ違いの生き方をすることになります。 2次元の世界で交差しているようにみえても、3次元の世界では、まったくのすれ違いの人生に・・・。
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