2023/06/12

吉田向学のブログのアクセス件数の少なさ・・・

    午後、私の、Blogger上の6つのブログのアクセス件数を調べてみました。

    ほとんどアクセス者のいない日々が続いています。 2005年に、ブログ『部落学序説』と『田舎牧師の日記』をかきはじめたときは、毎日数百件のアクセス件数があったのですが、今は、毎月数百件のアクセス件数です。

    そのころは、他のブロガーがそのブログのアクセス件数を増やすために、ブログ『部落学序説』と『田舎牧師の日記』にリンクして、あることないことを書き連ねていました。 読者の中には、<コバンザメ商法と同じ・・・>と指摘してくださる方もいましたが、現在の、私の、Blogger上の6つのブログに対する<コバンザメ商法>は、まったくの無意味です。

    私は、他のブログを読みに行くことはありません。 時々アクセスするのは、ブログ<ジゲ戦記>と<続・蛙独言>の二つのブログだけ・・・。 どちらのブログも、あらたな書き込みをほとんどしていないようですが、ブログ<続・蛙独言>の<決別の辞>を転載します。 ブログ<続・蛙独言>のブログ主の田所蛙司さん、スパッと竹を切ったときのような、さわやかな男らしさを持った方だったのですね・・・。 

    この「流れ」はお終いに。
    2010-03-17 19:35:41 | 日記

    この間、吉田向学さんと「ジゲ戦記」ブーさんのブログに応答する形で蛙の考えを書いてきましたが、少し整理をしておきましょう。

    向学さんの主張ですが、

    ・・・・・「日本国」1億3000万の人口の内、「その気になれば」全ての人々の旧身分を明らかにすることはできる。 この「身分制」で、「エタ」とは「」などでは決してなく「司法警察」の「役」を「誇りを持って」担った人々のことである。 そういう事実が「明治」期、「国家」によって隠蔽をされ、「史観」に染め上げられた「学者」や「解放運動家」によって、「差別」の原因・由来が曖昧なものにされてしまったところに現在の困難がある。 「解放」を展望するということは、「この事情」を全ての人が確認をするところから始めなければならない。 「」は、「奪われた」真実の「物語」を取り戻さなければならない。

    ・・・・・ということのように蛙は読みました。 「論理」として首尾一貫した主張ですから、それが、圧倒的な人々に支持されるのであれば、それはそれとして「よいこと」なのかも知れない。 蛙の「考え」は違います。   ・・・・・「人間」は、その「人」がどんな背景を持っているか、家族とか資産とか学歴とか、或いは「その血筋」とか、そのようなもので評価されるべきものではない。 「彼」がどのように生き、何を為し何を為さなかったか、そこのところで「値打ち」が決められなければならない。 「人」は成人してからは自身の責任において「全て」を「ひとり」で引き受けていかなければならない「存在」なのであり、その「覚悟」を持った「一人ひとり」の「支え合い」が基本に据えられなければならない。

    ・・・・・そのようでありますから、まず、「物語」を必要としない。 「自由主義史観」の連中は、「歴史は物語なのであり、『日本国』の『物語』はこうなのだ」と言っています。 「物語」を頼りにする、これは「弱さ」以外の何ものでもない。 「ひとり」を基本に置けば「物語」など必要ではありません。 「私は私の信念に基づいて生きる」。

    向学さんの「解放の展望」は、向学さんの「主張」に皆が納得することが目指されているわけですから、それを全面的に支持する人以外は皆、敵になる。 蛙の方からは敵視することはありませんが、論理の必然として、向学さんから見れば蛙もまた「敵」になるでしょうから、なるほど、「詐欺師」などと呼ばれたり「たわごとをのたまう」などと言われたりするのでしょう。 蛙も「解放の展望」などキチンと提起する力はありませんから大きなことは言えませんが、少なくとも「味方になってくれるかも知れない人を敵側に追いやるようなこと」はしたくはありません。 なんちゅうても、蛙は「学者」を気取りたいこともないし、「詐欺師」と呼ばれてもちっとも構うことはない、「運動家」でありたいと思っていますから、「今」「ここ」で「差別」攻撃を受けている「この人」を支え、激励し、「一緒に頑張って行こうね」って「ことば」を伝える、そういう風に歩いているわけです。

    というわけで、「間にある溝は埋められそうにもない」ようですから、向学さん、「ジゲ戦記」ブーさんとの「応答」は、これを限りにしたいと思います。


<決別の辞>は<決別の辞>・・・。 <決別>に言及されていることは、<決別>に先立って<出会い>・<遭遇>・<邂逅>があったということを前提とします。 <出会い>・<遭遇>・<邂逅>の時があったからこそ、<決別の辞>は<決別の辞>として大切に胸中にしまっておきいたいと思います。

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