この前, たまたま見ていたテレビで放送大学の歴史がとりあげられていました.
私は, 無学歴・無資格 (Academic Outsider) ですが, 放送大学がはじまって今日まで, その講座を受講する機会はありませんでした.
地理的・経済的・時間的ゆとりがなかったためです. それではリタイアしたあと, 時間的ゆとりができてその気になればいつでも受講できたのではないか, とも考えられますが, 日本基督教団の隠退牧師になるとき, ちいさな教会であったため, 退職金は放棄することを求められ, それに応じました. 妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農した後は, 少ない年金をカバーするために, 妻の実家のおとうさんが残してくれた田4反, 畑0.6反, 山林8.0反で有機・無農薬栽培で自給用にコメと野菜を栽培して生きてきましたが, 文字通り ”生きる” ために多くの時間を費やさなければなりませんので, 隠退牧師になったあとも, 実質上はリタイアすることができず, 自給 ”農業” に ”就業” することになり, 放送大学の施設が郡山市内にあるにもかかわらず, 放送大学を受講するための 地理的・経済的・時間的ゆとりを持つことはできませんでした. これからも・・・.
最近、空いた時間に, 放送大学の講座をテレビで見ることが多いのですが, ひとつの科目を最初から最後まで聴講できる環境にはありません. テレビには録画機能がありません. これまでにもテレビ番組を録画したことはありませんので, 65歳以降は, それまで経験しなかったことはあらたに挑戦しないことにしていますので, 録画機能のついたテレビを購入するつもりもありません.
結局, 私は, 無学歴・無資格 (Academic Outsider) で一生を終えることになります. 日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていたときには, 近くに徳山市立中央図書館がありくるまで片道10分で2階の郷土資料室の蔵書を自由に閲覧することが出来ました. 1階と違って, 2階の郷土資料室の閲覧用机は木製でとても広くて何冊の本も広げて閲覧することができました. 利用客も少なく, いつでも好きなときに利用することができました. そのため, 基本的な史資料を蔵書する必要はなかったのですが, 妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農する前後から, ”自分自身の小さな書斎” (社会学者・元濱涼一郎) を持つことにして基本的な文献を収集しました. 3600冊の小さなちいさな書斎・・・. それも, 放送大学の受講に対する意欲を減退させているのかもしれません.
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