私の人生は, 一生, 落ちこぼれ人生であったようです.
高校3年生の時, 地方公務員をしていた父が倒れ, 大学進学をあきらめざるを得なかったとき, 担任は, ホームルームの時間に, ”吉田は, 大学を受験できなくなった. 人生の落後者になった・・・” と話していました. 大学受験で不合格になった落後者ではなく, 大学受験すらできなくなり, 就職試験のために, 大阪市立中学校事務職員 (府費) 採用試験を受けることになった私に対する担任の言葉でした.
その言葉と共に, 私は, 人生の落後者の道を歩み始めました. 落後者の道がたどり着いたのは, 日本基督教団の牧師になるために農村伝道神学校に入ったこと・・・. しかし, その農村伝道神学校でも, 私は, 落ちこぼれに・・・. ”学歴・資格を持たないものにヘブル語は教えない” との旧約学の教授の言葉や, 当時の農村伝道神学校の校長は, ”どこの馬の骨かわからない, 無学歴・無資格の君をこの神学校に神学生として受け入れたくなかった. よりによって、理事長の島村亀鶴牧師の推薦状を持ってきたので, 仕方なく受け入れた. しかし, 君は, 基督教会の名門の出である私の弟子にはなれない. 無学歴・無資格の君を弟子にするのは, 恥になるからね・・・” と言い渡され, 日本基督教団の世界でも, ”落ちこぼれ” が確定されることになりました.
”落ちこぼれ” の私に相応しい教会として, 農村伝道神学校の校長と教授会が送り出した教会は, 某大学神学部を出て, 自害したとされる名門の牧師の ”尻ぬぐい” のために派遣された小さな教会・・・. 同じ神学部を出た後輩の牧師が, ”卒業するとき, 教授から, ’この神学部を出た卒業生で自殺した人はいない’ と聞かされていたが, 自殺した牧師は, あなたが出た神学校の先輩か?” と問いかけてきたことがありますが, 私は, ”自殺したのは, 私の先輩ではなく, あなたの先輩です. あなたの出た神学部の教授は, 自殺した教え子のことをその記憶から抹殺したかったのでしょう. 分区の牧師たちは, ’お前は, 臭いものの蓋として招聘されたんだ. 黙って臭いものの蓋をしてろ!’ と話していたけれど, その牧師たちの中には, あなたが出た神学部卒の先輩牧師もいる・・・” と, 事実を伝えましたが, 彼は, ”それは, 吉田牧師の誤解・曲解です! 私が出た神学部の中傷はしないでください!” と信じませんでした.
Google翻訳で, ”落ちこぼれ” を英語に翻訳すると, ”Carry the fallen” という言葉もありました. ”落ちこぼれ” とは, ”the fallen” を ”carry” する人のこと・・・? ”Illustrated Oxford Dictionary” には, ”the fallen” は, ”having lost one's honour or reputation”, "killed in war" との説明がありました. 福音宣教のための戦いで不名誉な死を遂げた人・・・? "Oxford American Desk Dictionary and Thesaurus" の "carry" には, "take on or accept responsibility or blame" という説明がありました. Google翻訳にかけますと, ”責任や非難を引き受ける, または引き受ける” と訳されました.
”落ちこぼれ” 牧師と揶揄される私は, 文字通り, ”Carry the fallen” をするひととして, 福音宣教の戦いに ”military chaplain” (従軍牧師) として関り, 日本基督教団の一牧師としてその生涯をまっとうしたことになるのでしょうか・・・?
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