gooブログの事務局から、<法務省権調第123号>にもとづき、このブログ『隠退牧師の晴耕雨読日記』全体が<差別文書>と認定し、1週間後にインターネット上から削除する旨、通告を受けてから、書き込みを中止しています。
よく考えてみると、筆者のブログ『部落学序説』は、最初から<風前の灯>のような状態におかれ続けてきました。2005年に公開で執筆をはじめて以来、『部落学序説』の論旨に対して賛否両論の嵐が吹き荒れていました。しかし、多くの読者にささえられて、2021年まで、その灯を消されないでよく持続してきたものだと思います。
今の日本は、差別問題をめぐって異様な展開がなされつつあります。<部落差別について言及することは、それが差別に反対する側からであれ、差別する側からであれ、部落差別を助長することにつながる。誰も、部落差別について言及しなければ、部落差別はなくなる。よって、インターネットから部落差別に関する文章を全部削除する・・・>という論調が支配的になりつつあるようです。
黒人差別についていえば・・・。<黒人差別について言及することは、それが差別に反対する側からであれ、差別する側からであれ、黒人差別を助長することにつながる。誰も、黒人差別について言及しなければ、黒人差別はなくなる。よって、インターネットから黒人差別に関する文章を全部削除する・・・>。
女性差別についていえば・・・。<女性差別について言及することは、それが差別に反対する側からであれ、差別する側からであれ、女性差別を助長することにつながる。誰も、女性差別について言及しなければ、女性差別はなくなる。よって、インターネットから女性差別に関する文章を全部削除する・・・>。
障害者差別についていえば・・・。<障碍者差別について言及することは、それが差別に反対する側からであれ、差別する側からであれ、障害者差別を助長することにつながる。誰も、障害者差別について言及しなければ、障害者差別はなくなる。よって、インターネットから障害者差別に関する文章を全部削除する・・・>。
ユダヤ人差別についていえば・・・。<ユダヤ人差別について言及することは、それが差別に反対する側からであれ、差別する側からであれ、ユダヤ人差別を助長することにつながる。誰も、ユダヤ人差別について言及しなければ、ユダヤ人差別はなくなる。よって、インターネットからユダヤ人差別に関する文章を全部削除する・・・>。
そんな論理が許されていいはずがない! それは、差別をなくすための論理ではなく、差別を現状固定し、差別を見て見ぬふりをする差別行為そのものでしかない。
0 件のコメント:
コメントを投稿