2021/11/15

ヤスパース著『哲学的信仰』の前払い代金を振り込む・・・

 朝、インターネットの日本の古本屋経由で注文していたヤスパース著『哲学的信仰』の前払い代金を振り込みました。妻が、<今日は何の本なの・・・?>とといかけてくるので、<ヤスパースの『哲学的信仰』・・・>と答えると、<そう・・・>と、納得したような語感の返事・・・。昨日、丸山健二著『千日の瑠璃』(上・下2冊)を書斎の机の上に出していたとき、妻が、<丸山健二って、小説家だったわよね、あなたが小説を読むなんて不思議に思っていたけれど、この本、いくらしたの?>と聞くので、本の間にはさんでいた納品書を見せました。価格は2冊で、税込み396円・・・。<今日、注文した本は?>というので、<税込み4,500円・・・>と答えますと、<丸山健二の小説、新本同然じゃないの? それが1冊198円だなんて!>と驚いていましたが、<丸山健二のこの本も、そのうち希少価値が出て高価になるよ>と答えました。哲学者・ヴィトゲンシュタインの『哲学探究』にこのような言葉があります。<椅子は自分で・・・と考える>。丸山健二の『千日の瑠璃』は、<はじめに>も<おわりに>もない本文だけの本・・・。その本は、<私はバイクだ>というような定型句<私は〇〇だ>ではじまります。ヴィトゲンシュタイン流に表現すれば、<バイクは自分で・・・だと考える>、<〇〇は自分で・・・だと考える>ということになるのでしょうか・・・? 『千日の瑠璃』は、<私はバイクだ>というような1000の定型句の集積・・・。哲学者ヤスパースのいう<無際限性>の典型のように見えながら、その<無際限性>は<千日>で有限性の世界に舞い戻る・・・。1000日目の言葉は、<私はいつもの風だ>・・・。小説家の妻がその夫に訊いた、<これからは何を見て暮らすのか>。小説家はしばらくして答えた、<見るものなんてまだいくらでもあるさ・・・無限だよ・・・>と答えた。人生の晩年を迎えた小説家の人生の残された日々、<無際限性>を帯びることなく<有限性>の壁が立ちはだかっていることを熟知していながら・・・。丸山健二の小説は単なる小説にあらず・・・。<哲学的小説である、と思うのは筆者だけでしょうか・・・?

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