2022/02/16

差別を理解するとはどういうことを意味するのか・・・?

今朝、7:00に起床。いつもの健康管理をしましたが、測定値は、いつもと同じ・・・。そのあと、『英訳聖書』(NSRV)の詩篇を読み、ヤスパースの『哲学』(全3巻)の、昨夜読んだ箇所の読み直しをしていま
そのとき、突然とこんな言葉に遭遇しました。<差別を理解していない・・・>。ヤスパースはドイツの哲学者なので、この<差別>という言葉が、日本の<部落差別>を指して用いられている可能性はほとんどないのですが、ヤスパースは、生粋のユダヤ人の女性を妻として、生涯その妻との対話を積み重ねて行きますので、この<差別>という言葉は<ユダヤ人差別>、<ユダヤ民族差別>を意味している可能性は多分にあります。しかし、ヤスパースは、この<差別>という言葉で、<ユダヤ差別>を含むすべての差別について言及していると思われますので、ヤスパースの言葉を日本の<部落差別>に適用することはあながち間違いではないでしょう。

人は、歴史学や社会学、心理学などの<科学的研究>によって、<差別>が存在することを認め、その差別をそれぞれの学問的研究法を駆使して調べるか、<それとも、それを避けたり、無視したり、忘却したりするにすぎないいかのどちらかである>といいます。しかし、哲学者ヤスパースは、いずれも、一定の枠の中にとどまっているにすぎず、<問いつつその根源に近づく>ことはできないといいます。日本の部落差別を研究する歴史学者、社会学者、心理学者などの学問をする人は、<部落差別>を研究対象にしていながら、その<部落差別>の根源を解明することができず、<部落差別>を完全解消できないのは、その研究方法が一定の枠(限界)内にとどまっているから・・・。彼らは、<部落差別>に直面して<限界状況>の中にある人々の状況に<眼を閉じ>、<眼を見開いて限界状況へと踏入る>ことがないからであるといいます。

筆者の『部落学序説』は、部落差別問題や部落史研究に関与して論述する学者・研究者・7教育者・運動家の研究目的・研究対象・研究方法・研究成果をプレロゴメナ的に批判・検証するものですが、差別を<限界>(被差別部落の先祖を賎民とおとしめる賎民史観的研究の枠組み)内で論述するのではなく、<限界状況>を視野に入れて、他の<差別>に対する実存的対峙を参考にして、<部落差別>の解明と<部落差別>の完全解消を論じています。ヤスパースの哲学は、無学歴・無資格の筆者にとって<晴れ着>ではなくて<普段着>です。

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