昨日と今朝、ヤスパース著『哲学』(全3巻)の<死>についての考察を読んでいました。読みながら、筆者が高校生の時に、ヤスパース著『哲学入門』を読んでいたときに学んだ<死>に関する考察とほとんど何の変わりもないことが分かりました。
筆者は、高校生のときに抱いた死生観を、74歳になるまで持ち続けているようです。中学1年生のときに新約聖書を読み、高校1年生のときに旧約聖書を読み、高校2年生のときに、聖書の神を自分の神として信じるようになり、高校3年生のときに、Sweden Covenant Mission の宣教師から洗礼を受けました。それ以来、筆者、いささかも迷うことなく、聖書の神を真実の神として信じて、そのみことばに生かされてきましたが、それと並行するように、筆者の死生観を持ち続けてきました。
しかし、74歳になって、あらためて、<死>について考察することは、筆者の信仰を人生の最後までまっとうするためには、意味あることだと思います。<死>と<別れ>についてどのように受け止めるのか、高校生のときに学んだ基本線から右にも左にもそれていません。人生における確かさのひとつ・・・
2022/02/28
高校生の時から変わらぬ死についての考察・・・
登録:
コメントの投稿 (Atom)
機械音痴
日本基督教団の隠退牧師になって,東北福島の, 妻の実家に帰郷・帰農する前, 2005年から年2回春と秋に私ひとりで5~6日の日程で, 湖南町赤津村に帰っていました. そのとき, 妻の実家のおとうさんは, "おまえに,トラクターの使い方を教えてやろうと...
-
猪苗代から戻ると、筆者と妻、すぐ着替えて農作業をはじめました。 妻は、段々畑の梅の木のある畑に作付けしたキュウリとインゲンの支柱のネット張り・・・。筆者は、棚田のひめのもちとはえぬきの田の草取り・・・。午後1:30~4:00、市販の農具を改造してつくった <水田熊手>型草取り器を...
-
1948年生まれ。出身地は、岡山県児島郡琴浦町、当時は、塩田と学生服の町でした。琴浦西小学校・琴浦中学校・岡山県立児島高校普通科出身。神学校は、鶴川学院農村伝道神学校。高校を卒業した後の職業は、大阪府職員、岡山県倉敷式の某医学研究所付属病院で臨床病理検査、さらにその後、専門商社に...
0 件のコメント:
コメントを投稿