2022/02/20

昨夜、大場暢著『「老年症候群の診察室」超高齢社会を生きる』をよむ・・・

昨夜、大場暢著『「老年症候群の診察室」超高齢社会を生きる』をよみはじめました。筆者、前期高齢者最後の年の74歳・・・。

筆者は、こどものころから病弱であったため、およそ、体育・スポーツとは無縁の存在・・・。肉体労働など最初から不可能だったのですが、それが、2013年4月1日に、日本基督教団の隠退牧師になり、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農・・・。2012年には、妻の実家のおとうさん亡き後、月1週間、妻の実家に戻っては、原発事故による放射能汚染で汚染された、妻の実家の田畑の除染作業を自力で行い、水・土壌・野菜・米などの放射能汚染度を測定できる放射線量計を40万円で購入して安全性をチェックしたあと、2013年、帰郷・帰農するとすぐ、有機・無農薬栽培で米と野菜の栽培をはじめました。それから、10年目・・・。確かに、10年前に、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農したときと比べて、高齢化による体力の減少を感じないわけではありませんが、有機・無農薬栽培をはじめて、体力が増え、健康になった分、それほど老化による体力減少は感じていません。

体力に比べて精神力は・・・? と問われても、高齢化・老化にともなう認識力・思考力の低下を全面否定することはできません。高校生の時は、1冊の本を読むのに、速読が可能だったのですが、前期高齢者になってからというものは、1冊の本を読むのに時間がかかるようになりました。ヤスパースの『哲学』(全3巻)を1ページ読むのに1時間かかることもめずらしくありません。医学・老年学・農学の専門書や農書、歴史・民俗・宗教に関する本を読むのはかなり速読することができますが、それでも、青年期・壮年期とくらべますと、読書するスピードはかなり低下してきています。

筆者がインターネットで集めた老年学・老年病学の本は、1960~1980年代のものが多く、その執筆者は、筆者より年配の方々が多いのですが、『「老年症候群の診察室」超高齢社会を生きる』の著者・大場暢さんは例外・・・。大場暢さんは1971年生まれ・・・。50歳・・・。74歳の筆者、筆者より2まわり若い医師の話に耳を傾けようとしているのですが、あまり年齢格差を感じさせられることはありません。

老化・・・、<一人一人違うので、その人固有の変化が非常に重要であり、他人と比較してもあまり意味はありません>とありました。ひとだけでなく、標高550mの湖南高原の棚田の田も、同じ場所にありながら、1枚1枚、異なります。となりあわせの田んぼでも収穫できる米の品質に大きな違いが出てくる可能性があります。みんな、それぞれ・・・。

今朝、妻が、<わたしのおとうさん、どうしてこんな小枝町みたいな住みにくいところに住み続けてきたのかしら?>と筆者に語り掛けてきました。筆者、<おとうさんは、棚田の田から見える会津磐梯山が好きだったのじゃないの? 棚田の田から見たら、まったくの富士山・・・会津富士の異名通りの姿を眺めることができるから、農作業をしているときふとみあげた会津富士の美しさ、わすれられなかったのではないのかなあ・・・>と答えました。妻の実家のおとうさん、生前、筆者に、<ここらは、いいひとはひとりもいねえぞ。米や野菜のつくりかた、尋ねても、誰もほんとうのことは教えてくれねえぞ。帰ってきて、米と野菜をつくるなら、最初から最後まで自分たちふたりでやれ。どんなにちいさくても、農家は営農だから、田畑を他の農家に任せたらだめだ!>と繰り返し、話してしましたが、湖南に帰郷・帰農してはや10年目、前期高齢者最後の年である今年は、後期高齢者時代を生きるための備えの年・・・。大切なのは、土地やおカネではなく、有機・無農薬栽培の知識と技術、百姓らしい暮らし方です。

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