2022/02/22

屋根の雪下ろしをしたあと、庭の除雪作業・・・

午前10:00~12:00、妻とふたりで、除雪作業をしました。筆者は、1階の屋根と農機具の小屋の屋根、YARISのための簡易ガレージの屋根の雪下ろしをして、筆者が凍てついた雪を平型スコップで切り出して除雪用ソリに載せたものを、妻が運んで流雪溝に流し込んでいました。

雪国では、屋根の雪下ろしをしているとき、雪と共に下に落ちて雪に埋もれたり、軒下を歩いていて自然落下した屋根の雪に埋もれて圧死・凍死するひとがあとを絶ちません。筆者は、ほとんど雪の降らない、岡山県児島郡琴浦町生まれですし、妻の実家のある湖南に戻ってくるまでは、山口県下松市大海町で30年間、日本基督教団のちいさな教会の牧師をしていましたから、雪国暮らしとは無縁の存在・・・。生前、妻の実家のおとうさんから、年2回帰郷して、筆者と妻の隠退後の暮らし方について話をしていましたが、そのとき、湖南の赤津村での冬の暮らし方もいろいろ教えてもらいました。日本の古本屋経由で、湖南町や赤津村に関する史資料、歴史や民俗、自然・風土に関する本を集めにあつめました。それをひもときながら、おとうさんから聞かされた話と照合、筆者と妻にできる暮らし方を検討していましたので、2012年1月1日、原発事故の次の年、心臓発作でおとうさんが急逝、筆者と妻は、それぞれの職を辞して、2013年4月1日に、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農して、2012年、月に1週間帰郷して、自力で、妻の実家の畑や庭の放射能汚染対策をしていましたので、帰郷後すぐ、有機・無農薬栽培で米と野菜の栽培をはじめました。山口にいたとき、いろいろな方々から、有機・無農薬栽培のノウハウを教えられたのも幸いして、それから10年目、標高550mの湖南高原の棚田の田で有機・無農薬のコシヒカリ、はえぬき、ひめのもちを栽培しています。

人生の晩年に帰農して、百姓暮らしをはじめるのに必要なのは、有機・無農薬栽培の知識・技術です。その知識と技術さえあれば、戦後の日本の経済復興と同じように、灰塵に帰した地で生産活動をはじめることができます。妻の実家のおとうさんは、<ここさ戻ってきても、他の農家の土地に手を出してはなんねえ。歳をとると、同じ広さの田畑でも段々広くなってくるから、おらの田畑だけでやれ。自給用のコメと野菜を有機・無農薬でつくるだけなら、おらの田畑で十分だ。>と話していましたが、そのおとうさんのアドバイスに従って、10年・・・、妻の実家のおとうさんの言葉の正しさをあらためて確認させられる日々です。屋根の雪下ろしに使うラッセルは、妻の実家のおとうさんが自作したものをアルミのパイプとプラスチックで筆者が作り直したものです。

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