これまでは、田の草を、条間に沿って、南から北へとていねいにすすめてきましたが、次回からは、佐瀬与次右衛門の『会津歌農書』で進められている草取りの手順に従って草取りをすることにしました。
草取りをしやすい、あまり田の草が生えていない場所を先に草取りをして、田の草が蜜植している場所の草取りは後回しにするという方法で・・・。しかも、朝の日差しが、東の山側から最初に差し込む、棚田の田の西側から東側に向かって草取りをするという方法で・・・。湖南の赤津村のプロの農家のように体力に自信があれば、気温35~38°Cの炎天下で8時間労働をすることもできるのでしょうが、筆者は、74歳のこどものころから病弱で小柄な素人百姓、無理をしようにも無理をすることができない老体になっています。
バビロン捕囚のとき、預言者エレミヤは、牢獄から解放されて、3つの道を示されます。ひとつは、バビロンに捕囚される王・貴族・学者・技術者などの上流階級と共にバビロンに行くこと、もうひとつは、ユダヤの群れからはなれて一匹狼となりエレミヤの行きたいところへ行くこと、最後は、捕囚を免れた、ユダヤの貧しき農民と共に、ユダヤの地に残りそこで彼らと一緒に住むこと・・・。預言者エレミヤが選んだのは、最後の、ユダヤの地にとどまって、貧しき農民と共に生きていくことでした。
しかし・・・。
2022/08/01
田の草取りの手順を変更・・・
登録:
コメントの投稿 (Atom)
前に進みたければ過去を知り尽くさなければならない・・・
午後, 居間でのんびりしていました. 高温多湿下での農作業で火照ったからだが元に戻るまで・・・. Amazonに注文していた "ソシュール小辞典" が届きました.私のブログ "雑想 部落問題"の執筆をはじめる前に,...
-
猪苗代から戻ると、筆者と妻、すぐ着替えて農作業をはじめました。 妻は、段々畑の梅の木のある畑に作付けしたキュウリとインゲンの支柱のネット張り・・・。筆者は、棚田のひめのもちとはえぬきの田の草取り・・・。午後1:30~4:00、市販の農具を改造してつくった <水田熊手>型草取り器を...
-
1948年生まれ。出身地は、岡山県児島郡琴浦町、当時は、塩田と学生服の町でした。琴浦西小学校・琴浦中学校・岡山県立児島高校普通科出身。神学校は、鶴川学院農村伝道神学校。高校を卒業した後の職業は、大阪府職員、岡山県倉敷式の某医学研究所付属病院で臨床病理検査、さらにその後、専門商社に...
0 件のコメント:
コメントを投稿