差別主義者が反差別主義者に自己変革するための Albert Memmi の処方箋のひとつとして、Albert Memmiは、このようにすすめています。 多分、宗教者に対する、キリスト教会の教職者に対するすすめでしょう。
<若干の実践的政治家や労働者司祭が自己に課す如く、現実に労働者と日常生活を共にする・・・、これが差別主義に対する精神療法として最上のものであることは疑いえない。 このような行動方法は高貴でもあり、個人に努力を要求するものである・・・反差別主義者は人間間を・・・引き裂き、人間を劣等なものと優秀なものとに決定的に分類することを拒否する・・・>。
日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていたとき、教会員の半数が被差別部落出身かその関係者であり、彼らは、<牧師が部落出身の教会員から献金を集めるのは被差別部落民に対する搾取である>と主張し、献金をストップしたことがありますが、そのとき、被差別部落出身でない教会役員は役員会で、牧師である私に副業を持つことを求めてきました。 徳山市議会事務局で速記者をしていた教会書記の役員の方から、富士通の親指シフトのタイピング法とワープロ速記法を伝授され、word processorの使い方になれたころ、教会書記の方と一緒に山口県立下松工業高校の公開講座で Basic Progaramming を習い、DataBaseの Engineer と 情報処理技術者試験のシスアドと第二種(COBOLで受験)に合格、小規模会社のシステム開発や、山口県東部高等産業技術学校や山口県東部女性就業センターで職業教育に従事しました。 そのとき、日本基督教団西中国教区の先輩牧師たちは、<吉田は、職業をもって信徒伝道者になりさがった。吉田は、もうおれたちの仲間ではない>といって、牧師会から排除・疎外して行きました。 <教区の牧師は、幼稚園の園長として、けがれなきこどもに聖教育を施している。しかし、お前は、けがれた落ちこぼれの大人に職業教育をしている。 お前はおれたちの仲間ではない!>と牧師会で切り捨て宣言をしていました。
祭服や背広を脱ぎ捨て、労働者の作業着スタイルで日本基督教団の牧師を続けてきた私は、今も農作業の野良着を着て日々を過ごしています。 2013年日本基督教団の隠退牧師になる前の年の西中国教区総会のとき、ある牧師が、私に、<吉田牧師が西中国教区のためにしたいいことはただ一つ。 西中国教区に謝儀互助体制をつくらせ、地方のちいさな教会の牧師たちがこころおきなく宣教活動をすることができるようにしたことだ。 吉田牧師は懲罰としてその謝儀互助体制の恩恵に十分にあずかることはできなかったけれど・・・>と話していました。 懲罰の理由は、<吉田牧師は、西中国教区はじまって以来、謝儀が少ないと文句を言った最初の牧師だ>というものでした。 私は謝儀の多少を問題にしたのではなく謝儀互助体制の必要性を訴えただけなのですが・・・。
Albert Memmi曰く、<差別主義的世界をほんの少しでも受け入れることは恐怖と不正と暴力の手形に裏書することだ>、<まさにその故にこそ、(反差別主義の)戦いは休みなく、譲歩することなく続けられねばならない>・・・。
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