”頼母子講” というのがあるようです. インターネットで検索しますと, ”頼母子講とは「参加した全員がなけなしのお金を拠出して資金を一定期間積み立てておき、各会員は決められた条件に沿ってその期間のうち1回だけ必要なお金を受け取る」というものである。 「出世払い」「事情による負債の免除」「成功者からの寄付充当」など各会員の事情を配慮した人情味溢れる「庶民の融通組織」だった・・・” との説明がありました. 湖南町赤津村の某組合の定期預金も, ”頼母子講” 的運用が行われていた可能性があります. その ”頼母子講” の運用の恩典にあずかることができる人はその組合の組合長・庶務・会計・監査役の役員になった人・・・. その役員は, もちまわりで順番に担当することになりますが, 一定年数の後には, どの組合員にもその順番が回ってくることになります. そのとき, その組合員は, 組合の定期預金を ”頼母子講” として自由に使うことができる・・・, 返済については, "「出世払い」「事情による負債の免除」「成功者からの寄付充当」など各会員の事情を配慮した人情味溢れる" 措置がとられる・・・. ”成功者からの寄付充当” は, 欠損が生じた場合, ”家族・親族” による弁済か, "よそもん" の次期会計担当の管理不行き届きに対する責任として強制徴収によって精算される・・・, そんな ”ここらのもんの ’人情味あふれる’ 措置を, ’ここら’ の事情を何も知らないものがいちいちケチをつけるんでねえ! " というのが, "ここらのもん" の一般常識・通説・習わしであるようです.
"頼母子講" なら, 最初から, "頼母子講” として組織をつくり, 資金を集め, 一定の規約のもとに ”頼母子講” を運営すればなにも問題もないのですが, "頼母子講" とはまったく関係のない組織・組合の資金をその役員たちが勝手に ”頼母子講” 的運用をするのは間違い・・・. 今朝怒鳴り込んできた赤津村のプロの農家も, かってはその ”人情味溢れる「庶民の融通組織」”によって, 難を免れた人・・・. ”あとから入ってきて, 何も知らないくせに, いろいろやるんじゃねえ・・・!” という農家に, 妻は, ”わたしは”ここで生まれてここで育ったんです. あとから入ってきたのは, わたしではなく, あなたでしょう! ” と言い返したとか・・・.
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