昨夜, 遅くまで師岡佑行著『戦後部落解放論争史』に目を通していました. 特に, 各章の末尾の出典・文献は4巻すべてに目を通しました。
読んだのは第4巻の最終章 ”浅田理論の完成ー解放同盟と共産党の論争を通じて”・・・. その最終章の最後の文章は, 『戦後部落解放論争史』の著者の師岡佑行氏による師岡佑行の言葉でした. この『戦後部落解放論争史』は, 解放同盟と共産党の論争の歴史において, 師岡佑行氏が解放同盟の側に立っての論述であると告白した言葉なのかもしれません.
私が, 『戦後部落解放論争史』の各巻・各章の末尾の出典・文献目録に目を通したのは, 師岡佑行氏が『戦後部落解放論争史』執筆に引用した文献の中に, Albert Memmi著『差別の構造』を検出するためでした. しかし, 師岡佑行氏は『戦後部落解放論争史』の執筆に際して, Albert Memmi だけでなく外国の差別問題, 反差別運動, 差別史研究に関する論文を引用した痕跡はありませんでした. 師岡佑行氏がたとえ, Albert Memmi著『差別の構造』を読んでいたとしても, おそらく, ”たわごと”としてゴミ箱に投げ捨てたのではないかと推測されます. 師岡佑行氏の最終章・最後の文章は次の言葉です.
”明瞭な理解はどんな本からも借りてくることはできない. そのような理解は, 現在われわれのまわりにおきていること, だれもかれもがおもいおもいに, 語ったり, すくなくともささやきあっていること, あれこれの事件, あれこれの数字, あれこれの裁判の判決等々に現れていることを, 生き生きと描写し, 時をうつさず (政治的に)暴露することによってだけ, 与えられるるのである. ”
反差別の装いを身にまとった, 部落解放の運動団体や運動家, それと連動した学者・研究者・教育者の "差別主義" が無視・軽視してきた被差別民衆の語る歴史と伝承に目を向け, ” 現在われわれのまわりにおきていること, だれもかれもがおもいおもいに, 語ったり, すくなくともささやきあっていること, あれこれの事件, あれこれの数字, あれこれの裁判の判決等々に現れていることを, 生き生きと描写し, 時をうつさず (政治的に)暴露する”, Albert Memmiのいう "反差別主義" によって, 自らを ”総括”・”自己否定” に至らざるを得なくなるでしょうから・・・.
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