武漢ウイルス感染症騒動で中止になっていた赤津村の盆踊りは今年再開されたようです. その赤津村の盆歌の一節に,
人はどうでも我さえよけりゃ
世間思わぬ欲の道
というセリフがありますが, その ”世間思わぬ欲の道” というセリフ, それを否定しているのやら, 肯定しているのやら, なにとも判断できない極めてあいまいな表現です. 赤津村のプロの農家の一般的な在り様を歌ったものであるようです. それが集団的に共有されるようになりますと, ”よそもんはどうでもここらのもんさえよけりゃ”・・・, という集団エゴにつながっていきます.
昔, ”村八分” というのがありましたが, 今は, ”村九分九厘”・・・. 冠婚葬祭も, 郡山市街地の健康式場や斎場で行われるのが常ですし, 米つくりも昔と違って農業機械を使って播種から刈り入れ, 乾燥, 籾摺り, 精米, 保管まですべて自家作業ですから, ”村十分” の世界・・・. ”村十分”といわないで ”村九分九厘” と1厘残しているのは, 村の共同作業での参加・交流があるため・・・.
ここらのもんからは, ”つきあってほしければ, カネさ寄越せ! ” と言われますが, 年金暮らしの妻と私には, カネを出してまで維持しなければならないつきあいはありません. 収穫が多いときは, 野菜直売所・湖南四季の里に出展, また他の農家の栽培した野菜は湖南四季の里で購入するだけ・・・. ここらのもんにただで配ることはありません. ”善意” で配ると, ”素人百姓が食えねえものを寄越した” と批難されるだけですから・・・.
2023/09/30
ひとはどうでもわれさえよけりゃ世間思わぬ欲の道・・・
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