2024/02/21

辞典・事典の知的世界・・・

    日本基督教団の隠退牧師である私の蔵書は3,600冊・・・. 

    無学歴・無資格 (Academic Outsider) の私にとって, 適切な蔵書数が何冊であるのかは、不明・・・. 辞典・事典・ハンドブックを含めますと, その10%は辞典・事典類であると推測されます. 辞典・事典類に関しては, 私が関わってきた分野以外の分野の辞典・事典類を含みますので, 日本の歴史・民俗に関する "情報" はかなり網羅していると思われるのですが, インターネットで検索しますと, その "情報" の関連 "情報" をさらに収集することができます. もしかしたら, もう, 紙の情報源としての紙の本は不要になり, ネット上の電子の情報でこと足りるのかもしれません. 

    しかし, 典型的なアナログ世代である段階世代に属する私の情報源は, 依然として, 紙の本です. 今, インターネット上で古本や古書をとても安価に入手することができますので, 気が付くと3,600冊の蔵書になっていました. 3,600冊を数えた後は, もう蔵書数を数えることはなくなりました. 英語辞典70冊も, その中には含まれていませんが, 私の古本・古書集めは3,600冊で終わり・・・. 

    蔵書3,600冊が, 無学歴・無資格 (Academic Outsider) の私の知の限界になります. 専門分野で3,600冊集めるとかなり本格的な蔵書になりますが, 私は, 高校生のときから, 専門的な知識・技術を身に付けるためではなく, 教養主義 (Liberal Arts) 的な独習・独学を指向してきましたので3,600冊の蔵書は, 種々雑多な専門書・学術書の寄せ集めになります. 多角的な視点・視角・視座を獲得するためですが, 私の精神的中核は, 聖書の教えです. 聖書のことばは中学1年生のときに父から新約聖書を譲り受けて新約聖書をよみはじめて, そして, 76歳の今日に至るまで, 私のものの見方, 考え方に大きな影響を与えてきました. 絶対的な存在を前に, すべてを相対化してものごとを見たり考えたりする傾向は, 中学1年生のときから始まっています. 

    高校の同級生で大学に進学しなかったのは, 私一人・・・. そのとき, ある高校の教師は, "普通科で学ぶことができたのは, 教養だけだ. 職業人として, 必要な知識や技術を持たないで、この世の中に出ていくことになるお前は, これから先、どのように生きていくつもりだ・・・" と語りかけてきました. 私は, "世界史の教科書から, 生きていく姿勢を学びました. 古代の最初のページに掲載されていたのは哀悼のアテナ像でした. 現代の最初のページに掲載されていたのはロダンの考える人でした. 私は, ロダンの考える人のような生き方ではなく, 哀悼のアテナ像のような生き方をします. 考える人の姿勢では, いざというときに立ち上がることは出来ません. しかし, 哀悼のアテナ像は, 杖を取り除いても立ち続けることができます. 私は, 何があっても, 自分の足で立ち続ける, 機会が与えられたら、すぐ行動に移すことができるように・・・" と答えました. 

    振り返ってみますと, 私の人生を支えたのは, 高校の普通科でならった英語でした. といっても英語の資格を持っていたわけではありません. 英語の文章を読むことができたことで, 英語読解が求められる仕事に従事することができました. 職業人としての必要な知識・技術を, 身に付けることはなかったけれでも, 高校の普通科で "教養" としての英語力を身に付けたことで, 私の人生はそれなりの人生になって行きました. 

    そんな私にとって, 70冊の英語辞典, English Dictionaryを自由に使って, English Writingができる環境を与えられたことは, 主なる神さまが私に与えてくださっためぐみのひとつです. 

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