昨夜, 英語辞典を紐解いているとき, "Happy Medium" という言葉を目にしました.
両極端の中間にいることのさいわい・・・, とでも訳しましょうか? 日本基督教団はかって, そして今も同じかもしれませんが, 社会派教会と福音派教会に分かれて激しく対立していました.
日本基督教団の牧師になるために神学校に入ったとき, 日本基督教団の教会に転会しようとしたのですが, ある教会は, "あなたは福音派のようですからこの教会の信徒になることはできません" と牧師から断られ, またある教会では, "あなたは社会派のようですからこの教会の信徒にはなることができません" とその教会の牧師から転会を拒否されました. さすれば, 私は, 福音派と社会派の中間に位置するのかと言いますと, 決してそうではありませんでした.
日本基督教団西中国教区の山口の小さな教会の牧師をしていた30年間, 私は, 福音派と社会派の両方の教会とその牧師・信徒から排除疎外されてきましたので, "Happy Medium" とは無縁の世界の住人でした. 私は, 日本基督教団の "教会政治" の 福音派と社会派の中間的存在ではなく, 非 "教会政治" 的存在, 日本基督教団の "権力闘争" の枠組みの外なる存在でした. そんな私が, 日本基督教団の牧師であり続けることができたのは, 日本基督教団が "合同教会" 出あり, 基本的に教会の多様性を認めていたことにあります. 日本基督教団以外の教団の牧師になった場合, 無学歴・無資格 (Academic Outsider) , どの教派ともかかわりのない "どこの馬の骨かわからない" 私は, 早晩, 牧師の職を解かれ, 信仰そのものすら教団によって否定されることになったでしょう. 私の信仰は, 聖書主義・敬虔主義・実存主義・合理主義・相対主義的信仰ですが, 根幹は聖書主義です. 聖書主義に, 敬虔主義・実存主義・合理主義・相対主義的信仰を加味していることは, 私が "根本主義者" (Fundamentalist) , 偏狭な福音主義者ではないことを物語っています. 私の信仰は, 多様性を認める教団の中でしか存在することができなかったと思われます.
私の信仰生活は, "Happy Medium" と似て非なるものでした. "Medium faced with criticism from both extremes" 以外の何者でもありませんでした. I have chosen to place myself outside the struggles of church politics.
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