丸山学著『自分でできる家系図 戸籍取得から作成まで』、入手したまま、まだ一度も読んでいませんでした。筆者の祖父・吉田永學の先祖、信州栗田村の真言宗観聖寺とその住職・修験僧のあしあとを、古文書や史資料をもとに調べていますが、<家系図>には、ほとんど関心がありませんでした。
この『自分でできる家系図 戸籍取得から作成まで』を開きながら、<吉田家の家系図を作成してもいいかな・・・>と思い始めています。そのための戸籍・古文書は十分手元にありますから・・・。
その中に、このようなことが書かれていました。<(行政書士として)実際に戸籍の範囲を超えて古文書等の調査もしている私の実績からいいますと、戸籍以上に先祖をたどれる、つまり年代にして現在から200年ほど前まで遡れる確率は90%ほどあります。場合によっては調査の結果、総本家にあたる家が見つかり、その総本家に1000年以上前からの系図が残されていることもあるのです・・・>。10軒に1軒は、10人に1人は、1814年、つまり文化・文政のころの先祖までたどりつくことができるということを意味します。筆者の祖父・吉田永學の祖父、曾祖父、高祖父までたどりつくことができたのは、90%の確率の中に入り、決して例外的なことがらではなさそうです。
誰でも、その気になれば、筆者が知りえた程度の先祖の歴史を手繰り寄せることができるということです。真言宗当山派の修験僧は、<世襲>を許され、長男系列でその<世襲>が継承されていましたから、筆者の先祖の歴史は、1637年(寛永14)の舜良坊周順にまでさかのぼることができます。『近世栗田村古文書集成』や長野市公文書館、長野県立図書館、長野県立歴史館などの古文書に、観聖寺関連の古文書が含まれています。観聖寺の住職・修験僧だけでなく、栗田村の村役人・村人(農民)の先祖の歴史もたどることができるということです。
『観聖寺文書』のなかには、<家系図>なるものは含まれていません。江戸時代、<家系図屋>という商売が繁盛したそうです。なかには<偽系図師>と異名をはせるひともいたようです。江戸時代だけでなく現代にもそういう類の人がいるそうですが・・・。先祖の歴史は、他者にまかせないで、自分で調べないとほんとうの歴史はわかりません。<偽系図師>によって、先祖に関する偽の歴史を提供されても、それは先祖を知ったことにはなりません。
2022/09/04
現在から200年ほど前まで先祖の歴史を遡れる確率は90%・・・
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