『アーレント=ヤスパース往復書簡』の、ヤスパースがアーレントにおくった最後の手紙の一節・・・。
<希望だけでは人は生きていけない・・・>。
このヤスパースの言葉、どう理解したらいいのでしょう・・・? いろいろな思いが筆者の脳裏を通り過ぎて行きます。筆者、ヤスパースのこの言葉の意味を、早急に解釈・理解することをやめました。これまで通読した『哲学』(全3巻)や『哲学的信仰』などを読みなおすと同時に、今読み始めている『真理について』(全5冊)を通読していくなかで、繰り返し、その意味を自問自答することにしましょう。
ヤスパースは、<多発性関節炎の痛み>に日々苦しめられ、執筆もままならない状況に置かれ、<健康と安全(平和)>の大切さに思いをはせていたのかもしれません。
ヤスパースが現在を生きていたとしたら、ヤスパースは、独立国家ウクライナを全面否定し、ロシアの属国化するために侵略戦争を開始し、言語道断の暴虐極まりない破壊と略奪、強姦と人権侵害を繰り返すロシアに対して、激しく抗議したことでしょう。西欧諸国とアメリカ、日本は、ウクライナに解放への<希望>を提供するだけでなく、具体的にウクライナの人々の<健康と安全(平和)>をつくり出さなければならない。哲学者ヤスパースは、人間の<自由>を追求した哲学者です。
2022/11/18
ヤスパースの最後の手紙の一節・・・
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