2022/11/20

無学歴の独学が作り出す Generalist 的精神世界・・・

筆者は、無学歴・無資格(Academic Outsider)・・・。

といっても、小中高12年間公教育を受けているので、Google翻訳によって逐語訳されるような <Uneducated>ではない。しかも、Seminary で4年間、大学の神学部に準じたカリキュラムに沿って教育を受けているので、生徒・学生として教育を受けた期間は、16年に及びます。

しかし、それなのに、なぜ、筆者が、無学歴・無資格を標榜するのか、それは、筆者に対する、日本の社会、日本の教会からの評価を、筆者のこどものころからの反骨精神で反語法的に使用しているからです。

鳥飼玖美子氏は、その『異文化を超える英語 日本人はなぜ話せないか』のなかで、このように綴っておられます。

<日本の教育が、家庭でも学校でも「あなたはそういうけれど、私の考えは違う」「みんなはこう言うけれど、わたしはそうは思わない」とたとえ一人であっても自由に言える教育に変わらないと、発信型のコミュニケーションなど身につかない。英語教育だけをいじっても、大きな変化は望めない。

さらに、もう少し本質的なことを言えば、日本社会は基本的に異質なものを排除する社会である。仔細に見れば決して同質ばかりの社会ではないのだが、異質なグループがまことに少数であり微弱な存在であることから、全体としては「同質社会」「均質社会」である。少しでも全体の調和を乱すような異なった分子は、無意識に除外する。意識的に取り除いたり、強制しようとしたり、押さえこもうとすることもある。

その現れのひとつが、学校現場におけるいじめであり、学校拒否ではないか。

・・・外国語を学ぶ、ということは異なった文化を学ぶことであり、異質なものに寛容で開かれた心がなければ、とうていかなわないことなのだ。違ったものを日本社会に受け入れたくはない。でも国際人になりたい、英語も上手になりたい、というのは虫が良すぎる>。

筆者の、English Writing で、『部落学』(Research on Buraku Discrimination in Japan)を執筆しようとするこころみは、日本の社会、日本の教会から、<無学歴・無資格>とラベリングされて排除・疎外されてきた無学歴・無資格(Academic Outsider)の筆者の必然的な選択でしかない。

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