昨夜、『アーレント=ヤスパース往復書簡』(全3巻)を読み終えました。
劇的な終わり方・・・。それを告げるのは、ヤスパースの妻ゲルトルートからの短い電報・・・。
<カール死去、MEZ13時43分>
『アーレント=ヤスパース往復書簡』最後のアーレントの文章は、<1969年3月4日、バーゼル大学でのヤスパース追悼式典>での<ハンナ・アーレトの追悼の辞>・・・。
<大事なのは、彼の語ったことを聴き理解する人びとが、この先少なくなってしまわないことなのです。地上にある人間は、肉体を具えていることが必要です。著作だけ知っていて著者その人をじかには知らない者にとっても、本の背後には――バーゼルに、アウ街に――誰かがいる、その人が生きた声と身振りをもって語っているという確かさが必要でした。なぜならこれだけが、本に書かれていることは現実だったのだと保証してくれる。まさに彼は一つの手本であろうとし、そうなりえたのでした。・・・本というのは、この世に存在すること、人びとのなかの一人であることの、ひとつの独白なありようの表現であり、その表徴なのです>。
<人間のもっとも儚いもの、しかももっとも偉大なもの、つまりその人の語った言葉や独特の身振りは、その人とともに死んでいく、でもそれらこそ、わたしたちを必要とし、わたしたちが彼を忘れないでいることを求めているのです。追憶は死者との交わりのなかで行われ、そこから死者についての会話が生まれ、それが再びこの世にひびきわたります。死者との交わり――これを学ばなくてはなりません、私たちはこの共同の追憶の場において、それをいま始めようとしているのです>。
無学歴・無資格(Academic Outsider)の筆者、Academic なひとの葬儀や記念式に列席したことはありません。ハンナ・アーレントは、ヤスパースの<著作だけ知っていて著者その人をじかには知らない>筆者にも、時空を超えて、ヤスパースの<生きた声と身振りをもって語っている>姿を、『アーレント=ヤスパース往復書簡』を通じて共有する場を提供してくれているのかもしれません。
無学歴・無資格(Academic Outsider)の筆者に、Academic な世界に住むふたりの哲学者、ヤスパースとアーレントの哲学する姿勢とその生き方を<提示>してくださった、偉大な哲学者ハンナ・アーレントにも、ヤスパースに対するの同様、かぎりない感謝の思いを抱きました。
2022/11/18
昨夜、『アーレント=ヤスパース往復書簡』を読み終える・・・
登録:
コメントの投稿 (Atom)
知力の限界・・・
知力の限界・・・ それを感じ始めたのは, 高校1年生のとき・・・. 中学3年の3学期, 私が尊敬し,その中学校教師のような教師になりたいと思っていた教師が, 公金横領詐欺事件で児島署に逮捕されたという報道が, ラジオから流れてきました. 私は高校受験のた...
-
猪苗代から戻ると、筆者と妻、すぐ着替えて農作業をはじめました。 妻は、段々畑の梅の木のある畑に作付けしたキュウリとインゲンの支柱のネット張り・・・。筆者は、棚田のひめのもちとはえぬきの田の草取り・・・。午後1:30~4:00、市販の農具を改造してつくった <水田熊手>型草取り器を...
-
blogger 上で、『隠退牧師の晴耕雨読日記』、『部落学序説(再掲)』、新書版『部落学序説』の3つのブログを設置しましたが、それぞれの編集画面への切り替えがとても簡単・・・! しかも、必要に応じて、新たにブログを追加するのも簡単で、gooblog と比べますと使い勝手がとても...
0 件のコメント:
コメントを投稿