2022/11/18

昨夜、『アーレント=ヤスパース往復書簡』を読み終える・・・

昨夜、『アーレント=ヤスパース往復書簡』(全3巻)を読み終えました。

劇的な終わり方・・・。それを告げるのは、ヤスパースの妻ゲルトルートからの短い電報・・・。

<カール死去、MEZ13時43分>

『アーレント=ヤスパース往復書簡』最後のアーレントの文章は、<1969年3月4日、バーゼル大学でのヤスパース追悼式典>での<ハンナ・アーレトの追悼の辞>・・・。

<大事なのは、彼の語ったことを聴き理解する人びとが、この先少なくなってしまわないことなのです。地上にある人間は、肉体を具えていることが必要です。著作だけ知っていて著者その人をじかには知らない者にとっても、本の背後には――バーゼルに、アウ街に――誰かがいる、その人が生きた声と身振りをもって語っているという確かさが必要でした。なぜならこれだけが、本に書かれていることは現実だったのだと保証してくれる。まさに彼は一つの手本であろうとし、そうなりえたのでした。・・・本というのは、この世に存在すること、人びとのなかの一人であることの、ひとつの独白なありようの表現であり、その表徴なのです>。

<人間のもっとも儚いもの、しかももっとも偉大なもの、つまりその人の語った言葉や独特の身振りは、その人とともに死んでいく、でもそれらこそ、わたしたちを必要とし、わたしたちが彼を忘れないでいることを求めているのです。追憶は死者との交わりのなかで行われ、そこから死者についての会話が生まれ、それが再びこの世にひびきわたります。死者との交わり――これを学ばなくてはなりません、私たちはこの共同の追憶の場において、それをいま始めようとしているのです>。

無学歴・無資格(Academic Outsider)の筆者、Academic なひとの葬儀や記念式に列席したことはありません。ハンナ・アーレントは、ヤスパースの<著作だけ知っていて著者その人をじかには知らない>筆者にも、時空を超えて、ヤスパースの<生きた声と身振りをもって語っている>姿を、『アーレント=ヤスパース往復書簡』を通じて共有する場を提供してくれているのかもしれません。

無学歴・無資格(Academic Outsider)の筆者に、Academic な世界に住むふたりの哲学者、ヤスパースとアーレントの哲学する姿勢とその生き方を<提示>してくださった、偉大な哲学者ハンナ・アーレントにも、ヤスパースに対するの同様、かぎりない感謝の思いを抱きました。

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