筆者、75歳になり、後期高齢期に入りました。
75歳になっても、65~74歳までの前期高齢期を生き抜いてきた生き方を継承するだけですが、一つの人生の節目に立ったことを記念して、筆者、シモーヌ・ド・ボーヴォワール著『老い』を通読することにしました。
最初にこの本を読んだときは、<充溢した老いを生きるためには、若い年代にすでにその準備がなされていなければならない。>という言葉に触れて、筆者、インターネット経由で、老年学や老年医学に関する本を集めて、60~64歳を、老いの準備期間ととらえて、そこで学んだことを、65~74歳に実践してきました。65~74歳は、日本基督教団の隠退牧師になり、妻の故郷・湖南で、自給用に、有機・無農薬栽培でコメと野菜をつくり、年金暮らしをしてきましたが、その間、健康を支えられてきました。こころとからだとあたまとたましいの健康を大切に生きてきましたが、75歳になったのを契機に、もういちど、老いについて学びなおすことにしました。
老いはひとそれぞれ・・・。なかには、老いについて、独創性ゆたかに、独自の見解をもち、補陀落世界をめざして、小舟に乗って大洋に乗り出すように、老いの世界に突入していくひとも少なくありませんが、そういう生き方は、無学歴・無資格(Academic Outsider)の筆者にはなじみません。筆者は、いにしえのひとから現代のひとまで、いろいろなひとの老いに関する文章をひもといて、分析して、そこから、自分なりの老いのありかたを見付けることになります。<世界内存在>としての人間の老い方、生き方を・・・。
世界内存在・・・、シモーヌ・ド・ボーヴォワールは、カール・ヤスパース、ハンナ・アーレントと同じ、実存主義哲学者・・・。
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