今朝6:00に起床・・・。いつもの健康管理をして、そのあと『英訳聖書』(NSRV)を通読・・・。その中に出てきた言葉は・・・
<The heart of a fool is like a cart wheel,
and his thoughts like a turning axle.
A mocking friend is like a stallion that neighs no matter whi th rider is.>
<a fool>、<A mocking friend>は、他者を誹謗中傷し、罵詈雑言を浴びせ、愚弄するひとのこと・・・。そのひとの口を誰もとめることはできない。荷車の車軸のように、いつも同じところで回転するだけ・・・。
今、筆者が読んでいるのは、ヤスパース著『真理について』とアーレント著『暗き時代の人々』、そして、シモーヌ・ド・ボーヴォワール著『老い』の第二部・・・。『旧約聖書』の『創世記』に、最初に罪を犯した人間の行動が象徴的に記されています。彼らは、2本の木の間に身を隠した・・・、と。その2本の木とは何なのか・・・? 神学者はいろいろ考察してきましたが、一般的には、理想と現実のことだと解釈されます。ウクライナの人民をネオナチの圧政から解放するという<理想>の木と、実際は、ウクライナの人民を軍靴の下に踏みにじり、ミサイルや大砲でインフラを破壊し、ウクライナ全土を焦土と化しているロシアの<現実>の木の間で、自己を正当化し、侵略戦争の原因は、ウクライナとそれを支援するアメリカにあるとするロシア大統領プーチンの現実は、まさに、神の前で罪を犯した人間の行動パターン・・・。
シモーヌ・ド・ボーヴォワールは、『老い』の中で、<人々は年齢のせいにして病気という考えを払いのけ、病気のせいにして年齢を考えないようにする。彼らはこのごまかしによって、そのいずれも真剣に考えないですますのである>と綴っていますが、<年齢>の木と<病気>の木の、2つの木の間に身を隠し自己弁明する姿は、まさに、神の前で罪を犯した人間の所作と同じ・・・。
もしかしたら、部落差別問題についても同じことが言えるのかもしれません。<差別>を考えるときその原因を<貧困>にもとめ、<貧困>を考えるときその原因を<差別>にもとめる・・・。そのごまかしは、荷車の車軸のよう、ただ2つの間を繰り返すのみで、<差別>をなくすことも<貧困>をなくすこともできない・・・。このような部落差別問題の現実は、<解放>という名からほど遠い、神の前に罪を犯した人間のあり様・・・。<差別>の木と<貧困>の木の間に身を隠そうとしているけれど、神には丸見え・・・、決して身をかくしたことにはならない。いつも、<差別>と<貧困>とがつきまとう・・・。シモーヌ・ド・ボーヴォワールの『老い』は、2本の木のジレンマから抜け出すための処方箋になるかもしれません。
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