筆者、高校生のときに読んだ実存主義哲学者のうち、ヤスパースは理解できても、ハイデガーやサルトルは理解できませんでした。
今、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの『老い』の第二部を読んでいますが、ボーヴォワールは、ゲーテ、トルストイ、ユーゴの老後の生き方について言及していました。ボーヴォワール、<老いの発見と受容ー身体の経験>の章で、彼らの<好色爺>的側面をするどく描き出していました。しかし、最初から読んでいて突然の<変調>に、<ボーヴォワール、狂したか?>と思わざるをえませんでした。
ユーゴについては、いかなる劣等感にも悩まされることがなかった人であるようです。自分を誇りに思う自尊心に富んでいて、多くの人から愛され、ユーゴ自身も自分を多くの人から愛されるべき存在であると確信していた。自分の主体性をいつも確保し、他者の意見や批判に屈することはない、<崇高な老人>としての生き方をまっとうしたようです。しかし、ボーヴォワールは、ユーゴのことを理解することはできないといいます。ユーゴのこころとその生き方の二面性を考えるときに・・・。
筆者、そのくだりを読んでいて、ユーゴはもちろん、その老いの生き方を暴露することを楽しむようなボーヴォワールも理解できない・・・。サルトルやボーヴォワールの実存主義は、ヤスパースやアーレントの実存哲学とは、永遠に交わることのない平行線のような気がしてきます。筆者、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの『老い』を読むことをやめて、ヤスパースの『真理について』と、アーレントの『暗い時代の人々』の読書に戻ることにしました。
サルトルやボーヴォワールの実存主義は、無学歴・無資格(Academic Outsider)の筆者には、あまり関係のない世界・・・。
2022/12/29
サルトル・ボーヴォワールは、やはり理解できない・・・!
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