2022/12/16

こんな教師にだけはなりたくない・・・

筆者は、小学生・中学生のときは、将来、中学校の教師になるのが夢でした。筆者がそういう夢を抱くようになったのは、尊敬すべき多くの中学校教師にであったからです。最初にであった中学校教師は、担任の尾崎節子先生でした。高校2年の担任は、尾崎淳之助先生でしたが、尾崎節子先生のご主人でした。中学・高校の担任の先生のなかで、そのご自宅へ遊びに行ったことがあるのは、尾崎淳之助先生、節子先生だけでした。

しかし、なかには、<こんな教師にだけはなりたくない>と思ったのが、中学2年の担任教師でした。あるとき、ホームルームの時間で、彼がこんなことを言い出しました。<隣の中学校に問題生徒がひとりいる。隣の中学校の教師がもてあまいているので、この中学校で引き受けることにした。彼は、私のクラスで引き受けることにした。彼のおとうさんは、いわゆるやくざといわれている人だが、親がそうだからといって、子供もそうだというわけではない。この中学校で新しいともだちができれば、彼も変わる可能性がある。そこで、みんなにお願いがある。だれか、彼のともだちになってくれないか・・・>と。その教師のことばを聞いたクラスの生徒はみんな黙っていました。その教師は、強い語調で、<誰もいないのか!>というので、筆者、手をあげて、<先生、私がその生徒のともだちになります>と答えました。

隣の中学校から転校してきたAくんは、転校してくるなり、同級生いじめをはじめました。とくに、女子生徒を・・・。筆者、女子生徒をいじめている彼の所へ行って、<おんなの子をいじめるなんて、おとこのやることではない。>と語り掛けると、<先こうでも、おれに説教しないのに、お前はおれに説教するのか?>と怒って、筆者になぐりかかってこようとしましたが、<おめえは、おれのともだちになっていいっていったんだってなあ。ともだちになってくれるひとをなぐってはいけねえなあ・・・>といって、筆者をなぐろうとしてこぶしをおろしました。それから、筆者は、Aくんと、よく話をするようになりました。といっても、からだが弱くて、小柄な筆者、背が高くて大柄なAくんの遊び相手になることはできないので、休憩時間に、校庭でよく話をしました。そしてあるとき、Aくんがなぜ、前の中学校で女の子をいじめていたのか、その理由を話してくれました。おとうさんが、Aくんのおかあさんを追い出して、そのあとに後妻に、若い女の人を連れ込んだおとうさんから、彼女を「おかあさんと呼べ!」といわれたそうです。Aくんは、自分のおかあさんを追い出してのは、この若い女の人だと思って、それ以来、女の子いじめがはじまったというのです。筆者は、Aくんが話すことの聞き役をしていました。聞き役しかできなかったのですが・・・。

あるとき、Aくんが欠席した日のホームルームの時間に、担任教師が、<最近、Aに、学校外でであったことがあるひとはいないか? 彼は、学校の外で何をしているのか、知っているひとはいないか?>と問いかけてきました。すると、あるクラスメートが、<このまえ、町で吉田くんと一緒にいるところをみかけました>とはなしはじめました。すると、担任教師は、<吉田、Aとなにをしていたんだ? なにを話していたんだ?>といいます。筆者、<町で偶然であっただけで、なにもしていません。何も話していません>と答えました。すると、その教師、<休憩時間に職員室にきなさい>と筆者に指示しました。休憩時間に職員室に行くと、その担任教師、<Aとよく話をしているそうだが、Aと何の話をしているのか、全部、教えなさい。最近、Aは女子生徒をいじめなくなったそうだが、なにかあったのか? 知っていることを全部、私に話しなさい。>といいます。筆者、<できません。母から、告げ口をしてはいけないと、言われていますから・・・>と答えて、<Aくんの悩みは、先生が直接聞いてあげてください>といって、職員室をあとにしました。

その次のホームルームの時間、担任教師は、こんなことをはなしはじめました。<朱にまじわれば赤くなるということわざがある。問題の生徒Aとともだちになった吉田はその典型的な例だ。Aと交わることで、Aと同じような不良生徒になってしまった>。その担任教師は、なぜ、そう思うのか、その理由を話していました。それは、<Aの言動を知るために、吉田をそのともだちにしてやったのに、吉田は、Aのことについて、私になにも伝えない。>という信じがたいものでした。筆者、担任教師は、筆者にAくんのスパイにしたてようとしていた・・・、と思ってショックをうけました。そのとき思ったのです。<こんな教師にだけは、絶対になりたくない>、と。

あるとき、その姿が見えなくなったAくんのうわさが耳に入ってきました。ゆが山のつづら折りの山道の下り坂を、無免許運転でカブにのって、断崖絶壁を空に向かって、ノンブレーキで突っ走ったいうのです。その話を耳にしたとき、筆者、Aくんの話すことに耳を傾け聞き役に徹するだけで、それ以外なにの行動もとらなかったことに後悔の念をいだきました。担任教師は、<Aがいなくなって、みんなほっとしている。前の中学校の教師も、この中学校の教師も・・・>と話していましたが、そのうち、クラスメートの間からこんなうわさが流されるようになりました。<担任は、ほかの教師にはできない教育実践をして、それを実績に、教頭先生になりたかったみたいよ。Aくんのことなど、これっぽっちも考えていなかった・・・>。

<このクラスに、被差別部落出身の生徒がいます。だれか、彼のともだちになってください>という教師、被差別部落出身の生徒のかかえた葛藤にこころを向けることなく、朱に交われば赤くなるということわざ通り、彼のともだちになった生徒を、被差別部落出身の生徒と同じようなまなざしで見るようになるのではないでしょうか? 同和教育の実践は、学校教育界においては、教頭・校長への立身出世の近道であるとか・・・。隣の中学校は、岡山県の中でも比較的大きな被差別部落を校区に含んでいます。Aくんからは部落問題に関する話は一度も聞かされたことはありませんが、担任教師は、中学校の社会科の教師、被差別部落出身の生徒にどのような指導をしていたのやら・・・。

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