2023/04/21

<特種部落と其人口>・・・

昨夜、English Writing で『部落学』(Research on Buraku Discrimination in Japan)を執筆するための資料となる、私が山口に棲息していたとき、公立図書館でコピーしてもらった史資料を整理していました。

そのとき、<特種部落と其人口>に関する資料がでてきました。国立国会図書館に所蔵された明治史関連の資料で、全部で、A 4、60ページの資料です。近世幕藩体制下の<穢多>は、明治後期に内務省が調査した統計表には、同じ<穢多>でも、<特種部落>に数えられた<穢多>と、<特種部落>に数えられなかった<穢多>が区別されていました。

<茲に云ふ細民部落といふのは普通の細民部落のことではなく、実は特殊部落のことでる。即ち俗称穢多部落のことである。けれども穢多の称は固より特殊部落の名称も余り良くないといふ所から、内務省では之を細民部落と名付けて居る。実云ふと之れも余り結構な名ではないが、代わるべき適当な言葉がないから、先づ斯う名づけて置くのである。>

この資料では、内務省では、1年前と1年後では、近世幕藩体制下の司法・警察であった<穢多>の末裔の居住地を呼ぶのに、<穢多部落>という呼称を避けて<特種部落>と呼んでいたようですが、<特種部落=特殊部落>という名称を<余り良くない>との理由で忌避して、<細民部落>と呼ぶことにしたようです。しかし、上の資料では、<細民部落>は、一般用語であって、<細民部落>=<穢多部落>ではない・・・。内務省が、近世幕藩体制下の司法・警察であった<穢多>の末裔の居住地を<細民部落>と呼んだのは、明治4年の<穢多非人等之称被廃、自今身分職業共平民同様タルベキコト>という布達の精神に立脚したためだと思われます。<穢多部落>も、<平民同様>、<細民部落>と呼ぶことにしたのでしょう。

その資料の中には、<新平民部落>という呼称も使われています。<昔の穢多が王政復古に依って平民の中に這入って来たから、その平民を分けて見ると新平民と古平民とになる。所が新平民といふ言葉は余程侮辱の意味を含んで居る。そこで近頃は内務省の書類或いは府県庁の書類抔に特殊部落といふ字が用ひてありますが、之は止むを得ないから区別の為に用ひるのである>とありますから、明治政府の近世幕藩体制下の司法・警察であった<穢多>の末裔の居住地を呼ぶのに用いた呼称は、短期間に、<穢多部落>⇨<新平民部落>⇨<特種部落>⇨<特殊部落>⇨<細民部落>と変遷を余儀なくされたようです。

戦後は、左翼主義の学者・研究者・教育者・運動家によって、更に、<穢多部落>⇨<新平民部落>⇨<特種部落>⇨<特殊部落>⇨<細民部落>⇨<未解放部落>⇨<被差別部落>と近世幕藩体制下の司法・警察であった<穢多>の末裔の居住地の名称が変更されていきますが、<被差別部落>という呼称も、<新平民と古平民>を<区別の為に用ひる>思想に通底している表現であると思われます。

国立国会図書館がサービスとして、このような史資料を筆者に提供してくれていたとは・・・。<国民が部落と部落民について調べるのは差別である>という一般通念は、日本の政府の方針ではなく、左翼思想の学者・研究者・教育者・運動家が、国民を、彼らのイデオロギーに洗脳するためのプロパガンダ以外の何者でもなかったのではないかと、思いました。今、この資料<特種部落と其人口>のコピーを請求したら、複写して資料を提供してくださるのでしょうか・・・。

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