今日の播種作業、片付けを終えたのは、午後3:30ころ・・・。 家に戻ろうと、軽トラに乗り込もうとした時、軽トラに乗ってやってきた専業農家の方と、筆者と妻の3人で立ち話しがはじまりました。
最初は、野生動物について・・・。 イノシシ被害のため、電気柵をはりめぐらしていますが、湖南の赤津村におけるイノシシ被害について、その専業農家の方からいろいろ情報提供を受けました。 妻の実家の棚田の田のイノシシ被害について、妻は、<今年はまだありません。 電気柵の支柱が外から内に向かって押されていたので、イノシシかカモシカがやってきた可能性はあるのですが、まだ実害はありません・・・>と答えていました。
そのあと、湖南の赤津村の過疎化と高齢化、それにともなう<離農>の増加、これからは、ますます耕作放棄地が増えて、10年後、20年後には、農村崩壊の可能性があること・・・、とても心配しておられました。
筆者、その専業農家の話を聞きながら、次第に、日本基督教団の牧師として、その専業農家の方の語る言葉に耳を方向け、牧会的対応をとっていました。 自分でも不思議な気持ちになっていました。 <農村伝道>の必要性を感じさせられましたが、今の日本の社会、<農の基盤>が大きく揺らいでいるのかもしれません。 その地震の余波が、湖南の赤津村の農家にまで押し寄せている・・・。
2023/04/20
棚田の農道で、専業農家の方と立ち話し・・・
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