75歳の私は、いつのまにか英書が自由に読めるようになっていました。
もちろん、哲学などの専門書や学術書が自由に読めるわけではありませんが、一般書ならば、ほとんど自由に英書が読むことができます。 小学6年生のときに、英語塾に通い、中学・高校で英語の授業を受けただけですが、その後も、独学で、病院で臨床病理検査に従事していたときは医学英語を、商社に勤めていたときは技術英語を、神学校に入ってからは神学・歴史学・言語学に関する英語を、牧師になってからは副業として情報処理に関する英語を身に着けました。 英語で小説や新聞を読んでいた時代もあります。 ・・・、そのため、英語の語彙だけは、多分野に渡って、覚えることができたのでしょう。
75歳になった今、私は、それらを駆使して、English Writing に挑戦しようとしています。 私が英書を自由に読める程度に、自由に、English Writing が書けるようになる可能性はないわけではありません。 少ない可能性であっても、常に挑戦し続けてきた私の生き方は、English Writing を書くときにも発揮できそうです。
<There is no road ahead of me, but there is a road behind me.>
2023/06/03
いつのまにか英書が自由に読めるようになっていた・・・
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