75歳の私は、いつのまにか英書が自由に読めるようになっていました。
もちろん、哲学などの専門書や学術書が自由に読めるわけではありませんが、一般書ならば、ほとんど自由に英書が読むことができます。 小学6年生のときに、英語塾に通い、中学・高校で英語の授業を受けただけですが、その後も、独学で、病院で臨床病理検査に従事していたときは医学英語を、商社に勤めていたときは技術英語を、神学校に入ってからは神学・歴史学・言語学に関する英語を、牧師になってからは副業として情報処理に関する英語を身に着けました。 英語で小説や新聞を読んでいた時代もあります。 ・・・、そのため、英語の語彙だけは、多分野に渡って、覚えることができたのでしょう。
75歳になった今、私は、それらを駆使して、English Writing に挑戦しようとしています。 私が英書を自由に読める程度に、自由に、English Writing が書けるようになる可能性はないわけではありません。 少ない可能性であっても、常に挑戦し続けてきた私の生き方は、English Writing を書くときにも発揮できそうです。
<There is no road ahead of me, but there is a road behind me.>
2023/06/03
いつのまにか英書が自由に読めるようになっていた・・・
登録:
コメントの投稿 (Atom)
気温34.6°Cの棚田の田で作業・・・
今日は, 午前8:30-11:30 妻の実家の棚田の田で作業をしました. 最初に, コシヒカリの田の農道側の5~6条の草取りと補植をしました. そのあと, 温水田の水の中につけていたヒメノモチ・はえぬき・コシヒカリの苗を処分しました. 丸めて,カキツバタの間に置き...
-
猪苗代から戻ると、筆者と妻、すぐ着替えて農作業をはじめました。 妻は、段々畑の梅の木のある畑に作付けしたキュウリとインゲンの支柱のネット張り・・・。筆者は、棚田のひめのもちとはえぬきの田の草取り・・・。午後1:30~4:00、市販の農具を改造してつくった <水田熊手>型草取り器を...
-
1948年生まれ。出身地は、岡山県児島郡琴浦町、当時は、塩田と学生服の町でした。琴浦西小学校・琴浦中学校・岡山県立児島高校普通科出身。神学校は、鶴川学院農村伝道神学校。高校を卒業した後の職業は、大阪府職員、岡山県倉敷式の某医学研究所付属病院で臨床病理検査、さらにその後、専門商社に...
0 件のコメント:
コメントを投稿