2023/09/07

手段は思想や主義の本質が何たるかを物語る・・・

    手段は思想や主義の本質が何たるかを物語る。

    日本基督教団西中国教区での30年間は、疑似社会主義国家、疑似共産主義国家による言論弾圧と人権侵害の疑似体験をさせられた、聖書主義・敬虔主義・合理主義・相対主義・民主主義・自由主義の牧師である私にとっては疑似<バビロン捕囚>体験の30間でした。

    西中国教区山口東分区の日共系の先輩牧師たちは、日本基督教団阿佐ヶ谷東教会で信徒生活をした私をラディカルな牧師として徹底的に排除・疎外していました。 その過酷さを自覚してか、先輩牧師たちはサバイバルナイフを携帯していました。 そして、お互いにその鋭さを競い合っていました。 私が牧師をしていた教会の役員会は、山口東分区の牧師からから離脱するように私を説得していました。 山口東分区の牧師会から離脱したとき、西中国教区議長も山口東分区長も、<これで、吉田牧師を排除することができた。 もう吉田牧師には明日はない。 >と宣言していました。

    その締めくくりが、日本基督教団部落解放センター・角樋平一牧師と元日本基督教団部落差別問題特別委員会委員長・東岡山治牧師による<吉田牧師の部落差別問題との取り組みななかったことにする>という<切り捨て>でした。

    日本基督教団副議長の岸本洋一牧師からは、<あなたの娘を受け入れるキリスト教主義の大学はどこにもないからそのつもりでいなさい>と、牧師である私だけでなく娘まで排除されていました。 <娘の大学進学まで心配してくださらなくて結構です。 娘は国立大学に進学させますから>と答えると、横にいた西中国教区副議長は、<吉田牧師は傲慢にもほどがある。 高学歴・高資格の私の娘でさえ国立大学に進学できなかったのに、どうして無学歴・無資格の吉田牧師の娘が国立大学に進学できるのだ!>と激怒していました。 
西中国教区副議長は日共系牧師・・・。 私を日本共産党下松支部に連れて行きその機関紙『赤旗』を購読することを強要していました。神奈川教区の牧師も、西中国教区の牧師たちから<吉田牧師は教区の中だけでなく共産党からも浮いている>とのうわさを耳にしてわざわざ山口まで来て、<西中国教区の牧師は日本共産党と一緒にやらないと宣教活動はできない>とアドバイスして帰られました。

    日本基督教団ってなになのでしょう? 西中国教区ってなになのでしょう?  日本基督教団阿佐ヶ谷東教会に転会して、神学生としての4年間、阿佐ヶ谷東教会の一信徒として信仰生活をした私が、そんなに憎かったのでしょうね・・。 私が阿佐ヶ谷東教会に転会することを決めたとき、その牧師は代務者の日本基督教団幹事の柏井創牧師でした。 柏井創牧師は、<阿佐ヶ谷東教会問題は、日本基督教団問題の縮図である。阿佐ヶ谷被害教会に身を置けば、教団問題のすべてがわかる>と説教されていましたが、それで、私は阿佐ヶ谷東教会に転会を決めました。 阿佐ヶ谷東教会では、神学生としてではなく一教会員・信徒としてかかわっていましたので、神学生に対する奨学金は辞退していました(しかし、阿佐ヶ谷東教会の長老・信徒の方々は私を福音的信仰の牧師として育ててくださいました)。  阿佐ヶ谷東教会に身を置いて私が知ったのは<東京神学大学機動隊導入問題>、<阿佐ヶ谷東教会問題>だけでなく、日本基督教団の<諸問題>・・・、聖書の信仰と福音理解から逸脱して社会運動に走る牧師や信徒の姿でした。 それにひきかえ、阿佐ヶ谷東教会でであった方々の信仰には共感を覚えるところ多々ありました。 主日礼拝の司会をされていた日高長老の祈りにはこころ打たれました。

    私は、日本基督教団阿佐ヶ谷東教会での教会生活・信徒生活で、<目に見える教会>の中に<目に見えない教会>の姿を見ることができました。 その信仰体験が、神奈川教区・西中国教における疑似<バビロン捕囚>の時期を<過ぎ越す>ことにつながりました。 1日を過ぎ越し、1週間を過ぎ越し、1か月を過ぎ越し、1年を過ぎ越し、主任担任教師の32年間を過ぎ越し、隠退牧師としての10年を過ぎ越していますが、それは、日本基督教団阿佐ヶ谷東教会において<目に見えない教会>にであったため・・・。

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